無事に、53回目の誕生日を迎えることが出来ました。ひとえに、両親はじめ皆々様のお力添えの賜物と心より御礼申し上げます。
まだ、5カ月近くを残しつつも、今年は、パっとしない一年だったな・・・と、自身のチカラの無さを痛感する毎日。
第20期の期末を迎える2028年11月30日を以て、国内の活動に一区切りつけようと、今年は、3分の1を海外活動に向けた地ならしに当てるべく取り組むも、達成率は4分の1の30日程度。後半巻き返しても、60日いいとこ。活動の“量”が全然足りない。
“日本卒業”を思い立ち、はや12年。シンガポールの展示会で、海外チャレンジの相棒と運命的な出逢いをから10年。3〜4年に及ぶコロナ禍があったとはいえ、目標に掲げた50歳での“日本卒業”は為らず。ひとえに自身の至らなさ。
今現在、海外活動に向けた仕込みの正念場・・・。未だ、どう転ぶか予断を許さないが、5年遅れの“日本卒業”をご報告出来るように最善を尽くしていきたい。
一方、“ロジ”に根差し(広義な意味で商流の川下から社会を眺め)つつも、商いの有り様として“脱ロジ”を計り、もう一つの(昔の)顔である“脱政治”を計る“質”的な自己改革は想定通りに敢行。
軸足を置く業界はもとより、政治なんぞ、遠い昔に舞台から降りた身。この国やふるさとの将来は与野党の友人知人の政治家に託し、専ら、裏方として声援を贈る側に廻りたい。
昨日で、母が介護施設に入所して丸一年。この一年、実に、色々なことが起き、母の状況も大きく変わった。
一カ月ほど前、入所施設の皆様のお力添えもあり、祖母の33回忌に母も参加することが出来た。将来、振り返った時、このシーンは忘れがたき思い出の場面となる。施設スタッフの皆様に感謝しかない。
幸いにも、今年は、九州方面の出張が多く、毎月、施設に顔を出すように心がけている。親の介護も、自身の生活も、固定概念や常識に捕われず、「時間と勤務地の制約がある勤め人が出来ないことを全力でやる」ことを徹底していきたい。
親の介護を通しての最大の学びは、親の介護の関わり方は自身の介護の第一歩。母の介護に共に臨む最高の皆様に恵まれたことはこの上ない幸せ。有難い限りだ。
「一度、スイスの山並みを見てみたい」という母の願いは叶えられなかったが、目下の目標は、涼しくなった秋口、母が大好きな湯布院の山並み(由布岳)を見に連れていくこと。介護施設のスタッフの皆様と綿密な連携を取り、実現に漕ぎつけたい。
昨今、ふるさとの政治が“ドン”というキーワードで世間を騒がせている。メディアで報道される類のことは、メディアなり識者にお任せるとして。
何より重要なことは、福岡三国志であれ、新三国志であれ、“ドン”が存在し、政治的に(予算措置的に)多少は恵まれた状況にあった結果、我がふるさとの暮らしは良くなったのか?という本筋について誰も論じていないこと。
無論、この国の行く末(勝ち筋)は勿論、地方の目指すべき道標を誰も描いていない。そして、そのことに大半の人が気づいていない。これは、かなり危ない。
“現実対応”を錦の御旗に幾ら改善を繰り返したところで、その総和はハッピーなものになるとは限らない。改革・改善領域の基本中の基である「個別最適化の総和は全体最適化にならない」という袋小路に、国も地方もキレイに陥っている。
目指すべきゴールを描かず、実効性を伴った個別具体的な施策無くして、物事が良くなることは基本的にない。
最後に、最近、思うところあり“Timee”に登録した。人とすれ違うことも少ない田舎で暮らしており、仕事そのものが無いが、非正規・スキマバイトで働く人たちの気持ちが少しは解ってきた。
2年後、もう一度、自身の人生をオールリセット。ゼロから活動を始めるためにも、今一度、声なき声に心耳を澄まし、「社会の豊かさは底辺で働く人たちに笑顔で溢れていること」という人生哲学を具現化出来るように取り組んでいきたい。
人生、泣いても笑っても、残り8,825日。精一杯、生き抜いていきます。
まだ、5カ月近くを残しつつも、今年は、パっとしない一年だったな・・・と、自身のチカラの無さを痛感する毎日。第20期の期末を迎える2028年11月30日を以て、国内の活動に一区切りつけようと、今年は、3分の1を海外活動に向けた地ならしに当てるべく取り組むも、達成率は4分の1の30日程度。後半巻き返しても、60日いいとこ。活動の“量”が全然足りない。
“日本卒業”を思い立ち、はや12年。シンガポールの展示会で、海外チャレンジの相棒と運命的な出逢いをから10年。3〜4年に及ぶコロナ禍があったとはいえ、目標に掲げた50歳での“日本卒業”は為らず。ひとえに自身の至らなさ。
今現在、海外活動に向けた仕込みの正念場・・・。未だ、どう転ぶか予断を許さないが、5年遅れの“日本卒業”をご報告出来るように最善を尽くしていきたい。
一方、“ロジ”に根差し(広義な意味で商流の川下から社会を眺め)つつも、商いの有り様として“脱ロジ”を計り、もう一つの(昔の)顔である“脱政治”を計る“質”的な自己改革は想定通りに敢行。
軸足を置く業界はもとより、政治なんぞ、遠い昔に舞台から降りた身。この国やふるさとの将来は与野党の友人知人の政治家に託し、専ら、裏方として声援を贈る側に廻りたい。
昨日で、母が介護施設に入所して丸一年。この一年、実に、色々なことが起き、母の状況も大きく変わった。一カ月ほど前、入所施設の皆様のお力添えもあり、祖母の33回忌に母も参加することが出来た。将来、振り返った時、このシーンは忘れがたき思い出の場面となる。施設スタッフの皆様に感謝しかない。
幸いにも、今年は、九州方面の出張が多く、毎月、施設に顔を出すように心がけている。親の介護も、自身の生活も、固定概念や常識に捕われず、「時間と勤務地の制約がある勤め人が出来ないことを全力でやる」ことを徹底していきたい。
親の介護を通しての最大の学びは、親の介護の関わり方は自身の介護の第一歩。母の介護に共に臨む最高の皆様に恵まれたことはこの上ない幸せ。有難い限りだ。
「一度、スイスの山並みを見てみたい」という母の願いは叶えられなかったが、目下の目標は、涼しくなった秋口、母が大好きな湯布院の山並み(由布岳)を見に連れていくこと。介護施設のスタッフの皆様と綿密な連携を取り、実現に漕ぎつけたい。
昨今、ふるさとの政治が“ドン”というキーワードで世間を騒がせている。メディアで報道される類のことは、メディアなり識者にお任せるとして。何より重要なことは、福岡三国志であれ、新三国志であれ、“ドン”が存在し、政治的に(予算措置的に)多少は恵まれた状況にあった結果、我がふるさとの暮らしは良くなったのか?という本筋について誰も論じていないこと。
無論、この国の行く末(勝ち筋)は勿論、地方の目指すべき道標を誰も描いていない。そして、そのことに大半の人が気づいていない。これは、かなり危ない。
“現実対応”を錦の御旗に幾ら改善を繰り返したところで、その総和はハッピーなものになるとは限らない。改革・改善領域の基本中の基である「個別最適化の総和は全体最適化にならない」という袋小路に、国も地方もキレイに陥っている。
目指すべきゴールを描かず、実効性を伴った個別具体的な施策無くして、物事が良くなることは基本的にない。
最後に、最近、思うところあり“Timee”に登録した。人とすれ違うことも少ない田舎で暮らしており、仕事そのものが無いが、非正規・スキマバイトで働く人たちの気持ちが少しは解ってきた。2年後、もう一度、自身の人生をオールリセット。ゼロから活動を始めるためにも、今一度、声なき声に心耳を澄まし、「社会の豊かさは底辺で働く人たちに笑顔で溢れていること」という人生哲学を具現化出来るように取り組んでいきたい。
人生、泣いても笑っても、残り8,825日。精一杯、生き抜いていきます。