今年を総括する意味で、改めまして、9月の自民党総裁選参戦について述べたいと思います。
9月3日(金)日中、ネットのニュースで“友”のチャレンジの第一報を知り、即座に本人に連絡。その48時間後に勤めていた会社の代表を辞任し、72時間後に総裁選参戦するといった“非常識”なことを致しました。その結果として、関係者の皆様方に多大なるご迷惑をお掛けしました。深くお詫び申し上げます。

多くの方に誤解を生じさせている部分ですが、私は、もともと政治業界出身です。しかし、それは20年近く前の昔の話。既に、“昔取った杵柄“さえ有しない一介の民間人に過ぎないというのが自身の立場です。私は、河野太郎と出会った時も、そして、総裁選が終わった今も、自身が政治関係者という認識は持っていません。

事実、大半が政治を生業とされている河野選対関係者の皆様とは一線を画し、ただただ、河野選対のロジ(兵站)の一翼を担うという任務に徹しました。ですから、総裁選の結果について意見を述べる立場にもなければ、次を語る立場にもない。私自身はそう考えています。“友”としての立場で、ロジの観点で感想を述べれば、「今後も総裁選に挑むにあたり、様々な課題が浮き彫りになった」という一点です。

2006年、「河野さんの相談に乗って欲しい」と、とある政治家からの依頼を受け、河野太郎さんとお会いしました。当時、法務副大臣であったにも関わらず、私が居住する横浜までご足労頂き、「総裁選に出たい」という話に始まり、政策や政治についての思いなど、3時間近くに渡り、お話を伺ったことを覚えています。

当時、自民党の国会議員の誰一人として推すことはなく、総裁選にノミネートすることすら叶わない状況でした。私は、それでも「総裁選に出る」と言い続けることが大事だと考えていました。以来、時に、移動中の京浜東北線の電車のなか、あるいは、ファミレスのドリンクバーなど、およそ、世間が持つ政治家のイメージとはかけ離れた場所で何度も語らい合いました。

私自身、自身の会社を作ってからしばらく間、2010年頃ぐらい頃まで、「政治にチャレンジしたい」との思いを持っていました。その頃、神奈川県連会長として具体的な選挙区をご提示頂いたり、幹事長代理として大島理森幹事長(前衆議院議長)と掛け合ってくれたり、最も、自身の政治チャレンジに汗を搔いてくれたのが河野太郎でした。 結果的に、私は政治に再度挑むことなく、若い頃の夢は潰えました。

「自身の“チャレンジ”を、一番、応援してくれたのが河野太郎であり、その友が自民党総裁選にチャレンジするならば、身を賭し応援する」

今回、総裁選に参戦した理由はただそれだけです。

だからこそ、何かしらの報酬が発生する仕事としてではなく、完全自己負担の“手弁当”であることに拘りました。真の“友情”なるものに、“経費負担”みたいなセコい話は似合わない。私はそう考えています。

無論、この判断の代償、失ったものは小さくはありません。代表として相応の報酬、終の棲家として選んだ住居・・・挙げればキリがない。およそ、自身が“戻る場所”の全てがなくなりました。しかし。これが私であり、私の“生き方”です。

前を向き一歩を踏み出すチカラが自身に残っている限り、経済的な損失、地位や名誉など、私にとっては然したる意味はない。何度、失敗しても、その度に、ゼロから始めるだけです。

私にとって重要なこと、大切にしたいことは、私の友人や知人が、「世の中を変えたい」、「社会を面白くしたい」、あるいは、「何かにチャレンジしたい」と、心から私を求める時、その人に寄り添い、共に悩み、共に憂い、そのチャレンジを「任せとけ」と笑顔で声をかけ、愚直に支える自分であること、いつも自分らしくいること。ただ、それだけです。

経済的には0点どころかマイナスとなった総裁選参戦。寄る年波に”老い“を感じる齢50前にして、”らしさ”を実行に移せただけで、私は100点満点の結果だと思っています。

話は変わりますが、総裁選に参戦して良かったな・・・と感じた場面がありました。総裁選立候補表明の記者会見で、“改革”について次のように語っている姿を見た時、改革・改善を生業とする者として、改革に対する彼の思いを感じられただけで、とても満足しています。



「何かを削ぎ落す、コストを削減する。それが改革ではありません。改革というのは、新しい価値を生み出していく 世の中を便利にする。それが、こらからの改革です。新しい価値を生み出して、世の中をみんなのために便利にしていく。日本全体がシッカリと手を伸ばしたらそれを掴める。欲しいものを掴むことが出来る。皆がそう思って、一生懸命、手を前に出していく。それを引っ張っていくリーダーになりたい。」

この十数年、私は、“ロジスティクス”という領域に軸足を置いて生きています。時に、“ムダ”と一蹴され、時に、“何銭“という円未満の単位の改革にメスを入れる、決して、社会から光が当てられることのない地味な領域の仕事をしています。しかし、私は、誰かの生活を支えるそんな仕事をとても大事だと思っています。何より、そのことに誇りを持ち、それが、”性“に合っています。そして、”映え“の時代に、こうあり続けることが、若い頃、建築現場や解体現場で額に汗したストリートスマートとしての”生きる意味″(生き様)なのだろうと思います。

政治から離れて20年、同年代の政治家を見渡すと、大半の人が“映える”キャリアを持ち、与野党ともに、実に、スマートな政治家ばかりです。それが改革の結果としての“民意”なのだろうと受けとめています。しかし、最も“川下”にある物流という視座で社会を眺める身として、この国や社会の行く末に、一抹の不安を抱いています。

だからこそ、時代を切り拓いたり、社会変革を引っ張ったりする、若くて優秀な人たちとのバランスを取る意味で、社会や誰かの生活を人知れず支える人たちの側にドッシリと軸足を置き、これからも、広義な意味での“ロジ”に根差して、生きて参る所存です。残された限りある人生のなかで、それが政治家であれ、経営者であれ、その他様々な領域のリーダーであれ、何かを変えたいとチャレンジする人たちを精一杯、支えて参ります。

総裁選の最中、私のFacebookをご覧になられて、「わざわざ東海圏から、缶詰になっているホテルまでご足労頂いた経営者の方」、「真夜中まで語り合った上場企業経営者の方」、敗戦後に、「ウチで・・・とお声掛けを賜った経営者の方」、そのお気持ちの一つ一つが、とても嬉しかったです。正直、足もとの生活もありますので、様々なご提案、お声がけを賜れれば助かります。

20年振りの永田町復帰の結果、複数の政治家の方から総選挙支援のご依頼をお受けしましたが、全てご辞退をさせて頂きました。この場を借りて非礼をお詫び申し上げますとともに、今後とも、変わらぬお付き合いを賜りたく切にお願い申し上げます。

権限を有する政治家と異なり、しがない市井の身で出来ることは限られていますが、思いある人たちが、自身を媒介として“ご縁”が芽生え、それで社会や生活の何かが変わっていけば、それが自身の生きた証となる。これからも、そういう“ご縁”を広げていけるような生き方をして参ります。

今回の総裁選参戦を経て、おそらく、“個人レベル”で・・・、日本で一番、(それぞれの地域でトップクラスの)優良な非上場中堅オーナー企業の経営者と繋がっている、あるいは、東南アジアのEC経営者と繋がっている、はたまた、素人にも関わらず、結構な人数の国会議員や首長と繋がっている・・・という、幾つかの際立った特徴が有機的に結びつき、何かを生み出していけるのではないか・・・。そういった“変化の胎動”を感じています。

最後に、現在暮らしている大阪の家から僅か4〜5キロの所に、“西成”という有名な街があります。期せずして、自由の身になった今、もう一度、自身の存在意義を確かめる意味で、日雇いの仕事なども経験し、“あの頃”と同じ場所から、改めて社会を眺めてみる・・・。そんなことに、心惹かれています。

また、人生ゼロからやり直しです。常に笑顔を忘れず頑張ります。


【その他の近況のご報告】

近況のご報告 〜関東から関西に拠点を変更〜
関西圏の物流課題で取り組みたいこと
海外(アジア)関連で取り組みたいこと
‟地方”や‟地域社会”という視点で取り組みたいこと
事業承継(含む、M&A)の課題で取り組みたいこと
政治関係者とのお付き合いについて
自民党総裁選参戦ご激励御礼、並びに、今思うこと