お陰様を持ちまして、本日、45回目の誕生日を迎えることとなりました。まずもって、この世に生を授けてくれた両親、家族、これまでの人生で支えて頂いた多くの皆様に感謝申し上げます。
2018_104 自身の誕生日に、このような形でご挨拶を記すのは、実に、8年振り。日々、仕事で接する方々を除けば、毎日、どのようなことをして、今、何を考えているのか・・・など、お伝えする機会も無かったため、久しぶりに、最近の心境などを綴ります。長い駄文ですが、お付き合い頂ければ幸いです(*写真は、自身の誕生日に、この世に生を受けた感謝の気持ちを伝えるため、仕事の合間を縫って、自宅の両親をサプライズ訪問する時の花束を取りに行った時のもの)。

 リーマンショック直後の2008年12月、「Logistics is Strategy」との思いを胸に、「ロジラテジー」という造語の会社を立ち上げ、はや10年目を迎えました。思い返せば、業界出身者ではないという引け目、あるいは、若気の至りから、どこか、片意地を張り、斜に構えたスタートだったと思います。

 設立当時、この会社でやるべきこととして、次の4つの目標を掲げました。

  (流業界にマーケティング発想で臨む
  LogisticsとFinanceの融合
  ベンチャーマインドの種を撒く
  て本のロジスティクスを世界へ


 しかし、創業メンバーから猛反発を食い、この目標にこだわるあまり、瞬間的に、ひとりになったこともあります。以来、この目標を高らかに掲げることなく、10年間が過ぎました。これ・・・と言って明確な形にはなったものは無い。相応に、それっぽいことをやってきたな・・・と思うものの、この10年の歩みとしては、真摯に反省すべきところだと思います。同時に、物流業界に“ベンチャーマインドの種を撒く“という取り組みにおいては、手が付けられたとは言い難く、これからの最優先課題のひとつです。この点を、単に、国内だけではなく、アジアを見据えてやっていきたい。そう思っています。

2018_111 さて、この一年間、“ロジ”に軸足を置きながらも、これまでと違った“投資”の視点で社会を眺める機会でした。異なるカルチャーを持つ人たちと協働して、目の当たりにしたのは、“コンサルティング”の限界です。“結果責任”が無いという点において、言わば、講釈師・評論家に過ぎない“コンサルティング”の限界を打破しつつ、当事者として、課題をどのように受けとめ、考え、臨むかといった、脳みそのクリーニング、発想のベクトルのパラダイムチェンジに迫られた一年間でした。

 また、”当事者”の視点から、“企業価値を上げる”といった、本来、経営そのものが持つ意味を見つめ直すなかで、この国の中堅中小企業のなかには、現状に甘んじることなく、もっと、全国区、世界の評価の舞台に上がるべきポテンシャルを有する企業が多いことにも気づきました。

 同時に、とても優秀な人たちとのコラボレーションのなかで、やもすれば、自分の立ち位置を見失いそうになった時期だったと、反省しています。とりわけ、投資やM&Aといったファイナンス(財務系の)領域においては、原理原則として、「投資とリターン」の関係性が当然のことながら重要視されます。


 しかし、その一方で、非正規労働者や働き方に耳目が集まる昨今、“ロジ”というフィールドに軸足を置く者として、単純に、数字だけで割り切れない“葛藤”のようなものがありました。「果たして自分は、そこで額に汗し働く人たちの声なき声に、心耳を澄ましているのだろうか?」という点に、確固たる自信を持ち得ませんでした。

 この一年間は、そういう不安との葛藤や、折り合いをつけることに迷い続けた一年間でした。迷う日々のなかで、「相手と同じ場所に立ち、相手と同じゴールを見る」といった“自分のスタイル”を見失っていると感じていたことも動機となりました

 今年に入り、思い入れがある、とある提案書の前文を任される機会がありました。秘密保持の関係上、具体的な言及は控えますが、私は、その前文に、およそ、提案書とは思えない以下の言葉を綴りました。

IMG_5626 「私たちは、一貫してこの地に本社を置き続ける御社の更なる成長こそが、この街の賑わいを取り戻すことになるとの思いで今般のご縁を賜りました。そして、私たちは、“御社創業時の商品”にこそ、この地に暮らす人の魂(スピリッツ)があり、〇〇〇〇に象徴されるこの地に暮らす人の“技術革新マインド”に裏打ちされた“品質”を、もっと世界中の多くの人たちに伝えていきたい。言わば、あらゆる壁を超えた世界を駆け巡る現代版の“行商”として、この地から世界を目指すことで、この街の賑わいを取り戻したい。そのために、御社社員の皆様のみならず、この地の皆様とともに、この大地に根ざし、歩んでいくことが、今般のテーマだと考えております。」(*事案を特定出来ないように一部加筆修正)


 残念ながら、この事案について手掛けるご縁は賜れなかったのですが、この時、ようやく、自分のなかで、“強いものが勝つ”資本主義への抗い方の端緒が掴めたような気がしました。そして同時に、その地で成長のポテンシャルがある中堅中小企業を成長させ、雇用を芽生えさせることが、本当の意味での“地方創生”に繋がる・・・。そう確信した瞬間でもありました。

20180802_延嘉隆 この一年間、ずっとこんなことを考え、今日という日をふるさと久留米で迎えました。今から30年前の夏、今日と同じ暑い日差しが降り注ぐなか、泥まみれになって工事をした自身の労働の原点「国道210号線」のあの時の工事現場で迎えたい。衝動的にそういう気持ちになり、自身の原点であるこの道に帰ってきました。

 夏休みの補習に通う同級生が投げかける冷たい視線、汗でびしょ濡れになったまま食べる昼ごはんのうどんの美味さ、溝の工事で使う鉄板をクレーンで吊り上げる際、鉄板に引っ掛けていたワイヤーが外れ、鉄板を支えていた左手中指先を切断し吹き出す血しぶき。先輩、作業員が買ってくれる甘ったるい缶コーヒー・・・。

 最近、アカデミックスマートな人たちとばかり仕事をする機会が増え、月に何回かは、聞けば社名を知っているような会社の経営者の方と語らい合う機会があります。そういった日々のなかで、どこか、自分らしさを見失っていたように思います。だからこそ、この道に帰ってきました。


 “元祖ストリートスマート”と自称するからには、常に、答えは、自身の原点たるストリートにある。45回目の誕生日を迎える今日、こうして原点に立ち、もう一度、ハングリーだった“あの頃”のギラついた目つきを取り戻し、心機一転、常に、大地にどっしりと足をつけ、目の前に与えられた課題と愚直に向き合って参りたい所存です。