未だ、尾を引いているゴーストライター問題。ことの真偽はともかく、人間たるもの、遍く事象を他山の石とし、「何を学ぶか?」が重要だ。
 多かれ少なかれ、人はウソをつく。より正確にいえば、ウソをついているという自覚なく、より多くの人が事実だと思うこととズレた発言をすることはよくある。的確に事象を述べることは出来る人など、世の中に、10%もいないというのが実感だ。男女の仲、過去の淡い思い出、遅刻の理由、転職の理由、挙げれば枚挙に暇が無い。なのに、鬼の首を獲ったように批判する様は、浅ましくも見える。

 さて、このようなケースの対象法で、誰もが知る秀逸な事例を見つけたので披露したい。それは、“ふなっしー”だ。

 ふなっしー曰く、「虚言癖があり、言っていることの27.4%が嘘」(wiki)と自認している。これは強い。「虚言癖がある」、「27.4%は嘘」と前もって断られていたら、おそらく、「ウソつき!」という批判は出ない。主張の一貫性が殊更に求められ、問題発覚時の重箱の隅攻撃が激しい日本社会。まるでそのウラをかく、この先手の打ち方は天才的だ。これだと、「ウソつき!」と批判する方が怪我をすることになる。

 人は誰しも褒められたいという本能がある。しかし、冷静に社会の事象を見ていると、その評価は、本質的なものではなく、上っ面の評価であることも多い。この点を見透かし、同時に、「本質的な軸がシッカリしてれば上っ面、目先の評価などどうでもいい」と割り切ることが出来ると、かなりマインドが強くなる。何より、チープなレベルで期待されない分、毎日が格段と楽になる。周りの雑音が気にならなくなるので為すべき事に集中できる・・・という表現が適当かもしれない。

 私は、このような利点に気づいているので、近しい人たちが、私についての聞こえのいい話、心温まる話、いい人に見えそうなエピソード、などをネットに書くことを、かなり、厳格に、制限している。寧ろ、知らない人が見たときに、感じが悪い・・・と感じるような話を書いて・・・と強く求めている。

 期待されない分、その方が楽だし、電波系のヤツも近寄ってこなくなる。おまけに、言いづらいことが言える地ならしが出来ているので、本質的な課題やタブーにメスが入れやすい。万が一、失敗しても、「延さんに言っても仕方ない」というバッファーが出来ている。それなのに、ミッションを成功に導くと、ファンタジスタ的な評価が得られる。

 決して、誰しもが取れるスタンスでないことは承知だが、「人の顔を見るのではなく、物事の真相を見る」、たったこれだけで、あらゆることがレバレッジ掛かって受け止められるようになるネガティブ評価、マイナス評価。評価のハードルを下げておくメリットはかなりある・・・と、心底、思う。おススメです!