物流業界は狭い・・・。
 物流業界に身を投じて、幾度となくこの言葉を耳にする機会があった。無論、物流業界に限らず、特定の業界を評するときに用いられる類の表現ではある。確かに、業界の集まりと呼ばれるものに顔を出すと、同じような顔ぶれに出くわす機会はよくある。だから、つい、誰しもが、そう言いたくなる気持ちは解らないではない。

 しかし、私は、そうは思わない。最近、特に、「物流業界は、とてつもなく広い」と感じている。

 というのも、基本的に、「他社がやらないことを創っていく」という方針のせいか、数々の試みは、「We」を主語に、物流業界を語る人たち、いわば、“主流派”ともいえる人たちからは、恐ろしいほどに関心を示されない。

 しかし、誰も聞く耳をもって頂けないかといえば、そんなことはない。やはり、そこに、物流業界の人はいる。しかも、相応に知名度があり、尚且つ、どちらかというと、勝ち組と評される人たちが多い。

 そして、面白いことに、こうして出会った人たちは、一様に、「We」を主語に物流業界を語る人たちとの交流がないものだ。初めて、物流業界のセミナーや集まりに顔を出したという人たちも多い。

 私は、この況が、「選挙事務所に顔を出す人種」と選挙事務所に行ったことなどない「一般の有権者」との関係に似ていると感じている。

 仮に、この見方が正しいとするならば、果たして、「We」で物流業界を語るべきは、どちらなのだろうか?

 私は、後者だと考えている。そして、この“物流業界は狭い”なるもの論は、選挙と異なり、「嘗てはそうだった・・・」のではなく、今も昔も“井戸の中の話”なのではないかと思えてくる。つまり、所詮、井戸の中に「We」という“物流村”、あるいは、“物流島”とでもいうべきガラパゴスを形成しているに過ぎないのだ。

 物流業界は、多段階構造の弊害として、同業者と慣れ合っていれば、どうにか、下請け仕事が廻ってくるところがある。だから、顧客視点がなかろうが、社会の動きに鈍感だろうが、今のところは、どうにかなる。しかし、そのような状況は、そう長くは続かない。世の中は、絶えず、変化しているのだ。

 ここで考えるべきは、「We」を主語に物流業界を語る人たちの“正しい”という価値観は、所詮、「We」を主語に物流業界を語る人たちのための“正しい”という価値観でしかないという事実だ。より端的にいえば、その“正しい”という価値観の大半は、商品や荷物を託す人たちにとって、何ら関係のない話なのだ。つまり、顧客視点の欠如、やる側の論理だ。何より、社会との対話がないから、長続きしない。

 川岸から、流れる川に浮かぶ船の上の振り子をみていると、ハッキリとそう見える。

 きっと、10年くらい先に振り返ってみると、“We”を主語に話す人たちの正義は“玉響”なことでしかないのだろうが、それにしても、「We」を主語に物流業界を語る人たちが気づかないのか、正直、私には理解できない。

 やや、遠回りをしてしまったが、本当は、「We」が「We」ではないのに、「We」として喧伝されることにこそ、物流業界の構造的な問題がある。そして、その声に惑わされてはいけない。物流業界とは、ダウンロードされるもの以外に発生する全ての物流業務に関わる人たちを指し、果てしなく広いものだからだ。結局のところ、“物流業界が狭い”のではなく、そう感じる方の“視野が狭い”のだ。

 選挙事務所に顔を出す人種だけで、選挙の当落は決まる訳がない。一般の有権者が一票を投じてこそ当落が決まる。それと、同じだ。有権者の声を見誤っていると、今の自民党のようになる。

 市場や社会との対話無くしてあらゆるビジネスは永続的に存在し得ない。気をつけろ!