本日は、憲法記念日。今から9年前、29歳の時に書いた「“憲法改整”という考え方を提唱する」という拙文をご紹介します。
 この文章は、当時、読売新聞西部web版にも掲載して頂きました。私は、改憲か護憲かを問われれば、迷うことなく改憲論者だと思います。靖国神社にも参拝します。しかしながら、比較的、現憲法の精神を継承するというスタンスを強く取るのが特徴的です。それは、恒久的平和を希求する現憲法は、基本的に正しいと考えているからです。そのため、「憲法改正」ではなく「憲法改整」と表記するようにしています。
『憲法改整』という考え方を提唱する。(2002年2月11日)

 本日、改めて、我が日本という国が、国家である根拠、即ち、憲法について基本的な考え方を述べたいと思う。

 私は、日本国憲法は、基本的に正しいと思う。特に、恒久的な平和を希求した理念は、世界に誇るべきことであり堅持していかなければならない。今、私たち日本人がすべきことは、憲法改正ではない。なぜならば、日本国憲法は正しいからである。

 私は、日本国憲法をゼロから全て書き換えるのではなく、私たち日本人の手で、日本国憲法制定した時に想定していなかった概念、例えば、環境権等を明文化するなどの、世界情勢の変化や、社会環境の変化に即したものに整えていく作業を行う必要があると考える。このことが「自主」ということであり、今風に言うならば、アップデートすることである。

 例えば、憲法九条にしても、世界の常識から考えれば、自衛隊は軍隊ではないと思っている人はまずいない。ここで勘違いをしてはならないのは、我々日本国は、紛争解決の手段としての軍隊を持つのではなく、あくまで専守防衛の理念を堅持したうえで、予期せぬ偶発的な自体から、国民の安全、且つ、安心な生活を守るために、日本防衛軍という軍隊を持つのである。つまり、世界から戦争やテロ等の諸々の国際紛争が全て解決していない現状において、戦わないために備えるという意識を再認識すべき時である。

 憲法が制定されて60年余りの月日が流れた。私は、イラク問題におけるイージス艦の派遣等、憲法の条文と、憲法解釈という建前で運用している実態との乖離に警鐘を鳴らしたい。安易な拡大解釈で運用している実態は問題視すべきである。だからこそ、政権運営に都合がいいような拡大解釈をしないように憲法を実態社会に適して調整する必要がある。

 私は、『憲法改整』を提唱したい。