通常、社会人の自己紹介は、ビジネスキャリアについての経歴を意味しますので、順を追ってご紹介させて頂きます。"労働"という観点で語ると、人生で最初の労働は、中学2~3年生の頃だったと思います。当時、ろくに学校にも行かず、地元にある電子機器メーカーの工場で、流行っていたゲーム機器の基盤に部品をはめ込む製造ラインの仕事をしました。その仕事では、テスターを使って、電流や電圧などをチェックする検品作業を覚えたり、後には、製造物を搬出する業務にシフトが変わりました。

 次の仕事は、高校に入ってからはじめた工事現場の仕事です。この仕事では、色んな現場に行く機会がありました。橋梁工事、国道の補修工事、建築現場の仕事、造園の仕事...。この仕事では、肉体労働で汗をかいた後の昼飯が美味いことや、コンクリートの動詞が"うつ"であること、バイブロプレート(小型転圧機)で道路を舗装する経験もさせて頂きました。時には、宅地開発にともない、等高線を見ながら、山を切り崩して出た土砂の量を算出して、運搬するダンプを手配するという貴重な経験もさせて頂きました。この頃入った現場で、最も、印象に残っているのは、日雇いの現場で入ったブリヂストンの工場の地下タンクの解体の現場です。仕事の帰りに、一緒に働いた労働者の方が、車のなかで、「これで、娘に学校の上履きを買ってあげられる・・・」と呟いていた情景を強烈に覚えています。その他にも、イベントの会場設営、弁当工場の深夜のアルバイト、真夜中の違法なポスター貼り、まぁ~、色んなことをしていました。

 その後、高校二年生の初秋、原チャリで事故を起こし怪我。ちなみに、前歯は指歯、今でも、私の顔が少し赤かったり、薄っすらと傷があるのは、この時、顔の皮が大体、はがれてフランケンシュタインみたいになったからです。当時の偏差値は29。一応、新学校だったので校内偏差値はもう少し低くなります。5教科800点満点の模試の合計点は60点。記号回答で全部同じ記号を選ぶと、だいたい、これくらいの点数になります。勿論、学校からは、「自主退学をしてくれ」と言われてました。

 事故を契機に、「これ以上、親に迷惑をかけられない...」と思い始め、勉強をし始めました。一浪をするものの、どうにか大学に入り無事に卒業。運輸省港湾局出身の井口典夫教授のゼミで、“物流二法”。平ていに言えば、トラック業界の規制緩和について研究していました。


 この頃、私が影響を受けた本は、小沢一郎氏の「日本改造計画」と、P.F.ドラッカーの「ポスト資本主義社会」。後に、政治業界に進むこととなりますが、実は、興味を抱いていたのは後者。今でも、社会学的経営学というモノの見方が、私のモノの見方の根底にあるように思います。

 大学に入り、当時、YKKとして頭角を現していた加藤紘一議員の(今で言う)インターンのようなことをはじめ、大学2年の頃から、青山の自宅マンションに書生として住み込むこととなりました。ちなみに、加藤紘一議員を紹介したのは、同じ地元の古賀誠議員、物流業界的に言うならば、元運輸大臣、トラック議員連盟会長といったところでしょうか。私自身、既に、永田町を離れて7年が経ちますが、今でも、当時、ご一緒させて頂いた政治家の方々や、財界の方々、学識経験者の方々、評論家の方々などからご連絡を頂戴します。本当に、有難い限りです。

 秘書時代は、本当に、色々な経験をさせて頂きました。政府与党会議に臨席、総理官邸に同行、海外要人との会談、財界との会談に同席、派閥議員の選挙での地方滞在、土日は、幹事長に随行して日本全国を廻る日々...。まさに、当時は、この国の権力の中枢で、日本の意思決定の現場を体現することができました。ちなみに、秘書時代にお会いした印象に残っている3賢人は全員女性。一人は、李香蘭こと山口淑子先生、もう一人は、作家の塩野七生先生、もう一名は、知る人ぞ知る辻トシ子先生です。

 後に、〝加藤の乱”で権力の座から落ちるプロセス、全国をお詫び行脚する日々、あるいは、“東京地検特捜部の捜査にともなう特捜部通い”など、政治業界にいても経験できない稀な経験をさせて頂けたと思います。かなり、精神的にしんどくて、自身の弱さを痛感したのもこの時期でした・・・。

 加藤議員の議員辞職にともない、当時、自民党幹事長だった山崎拓議員の事務所に転籍。ここでは、自ら希望して、地元の秘書をさせて頂くことに。それにともない、学生時代から住んでいた東京を離れて福岡に帰郷。山崎議員の秘書になってから、自身のチャレンジを思い立つようになり辞職。たまたま、辞職したその晩、地元の議員の先生が亡くなり、時を経ずして、落下傘候補に対する地元候補として、地元の経済人の皆様に担がれることに。急遽、衆議院議員の補欠選挙に出馬することになり、結果、落選。ここまでは、想定していたのですが、陣営スタッフの選挙違反が指摘され、最年少で、"連座制"の適用を受けることに。正直、これは、想定の範囲外でした。ちなみに、私の名前がwikiに出てくるキーワードは「連座制」。国政選挙レベルでは、未だに、連座制適用最年少記録を守っている(?)ようで、不甲斐無く思います。2002年は、年に二度も、検察庁から呼び出しを受けるという、人生で、二度と経験したくないようなハードな一年でした。余談ながら、現在、ビジネスで苦労を苦労と感じないのも、この時以下の状況はないとプラスに思えるからです。

 当初は、地元にいて、何かしらの選挙を目指そうと考えていましたが、一部に、「民間経験が無い」といったご指摘もあったので、たまたま、中学校の同級生が送ってきた手紙に、「このコンサルティング会社、税金のこと詳しいみたいだよ」というメッセージとともに同封されていた求人広告を見て応募。翌週、上京して、会社説明会に出て面接を受けて入社。この会社では、全国の会計事務所を廻る仕事や、不動産の証券化、あるいは、組成したベンチャーファンドに関することなど、主に、会計や金融の視点を培う勉強をさせて頂きました。民間の厳しさを叩きこまれたのは、北信越地区の著名な税理士の先生のもとを赴いた時に、泣きたくなるくらいボコボコにされたことです。真冬でしたが、帰りは、コートを着る気力もなく、寒さも感じないほどでした。これ以降、物凄く、勉強をするようになりました。無論、出張にかこつけて、さぼったりもしていましたが・・・。(笑)

 次に、入社したのが、SCM改革や業務改革を手がける独立系のコンサルティング会社。この会社に入ったのは、“SCM”という聞き慣れない言葉に興味を抱いたからです。在籍期間こそ短かったものの、この会社で見聞きしたことはとても勉強になりました。毎週のように、大手メーカーに赴いたり、工場に赴いたり...。決して、ロジスティクス領域に強い会社では無かったのですが、コンサルティング会社としての基礎、姿勢、課題解決の思考を学ばせて頂いたように思います。 

 この頃、たまたま手にした福澤諭吉の「学問のススメ」に"独立の気力"という一節を見つけ、そりゃそうだな~と安易に思い独立を決心。その一節とは、「独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。(中略)独立の気力なき者は、必ず、人に頼る。頼る者は人を恐れ、恐れる者は人に諂(へつら)う。(中略)愛国の意がある者は、官私を問わず、先ずは、自己の独立を成し遂げるべし。余力あらば、他人の独立を助け成すべし。」というもの。翌日、辞表を出したとき、仕事の充ては何もないという、短絡的な思いつきの行動でした。

 その後、経営者を取り上げる番組の仕事をご紹介頂いたり、IT関連企業の会長を務められた方のオフィスから、ネットベンチャーの立ち上げの仕事をご紹介頂くことになります。当時、複数の会社の仕事を手がけていましたが、キーワードは、"ベンチャー"と"マーケティング"。秘密保持の関係上、社名こそ書けませんが、この頃、著名な企業の仕事を複数手掛けさせて頂いたことは、企業における"マーケティング"の重要性を認識する上で貴重な経験でした。この頃から、コンサルタントというよりも、"一介の営業マン"として歩もうと思い始めるようになりました。

 奏功するうちに、「ロジラボ通信」の運営を開始、08年春に法人化、同年12月、物流・ロジスティクス・SCM領域に特化したコンサルティング会社を設立しました。自社内で、「物流コンサル・現場コンサル」機能を有しているので、物流コンサル会社と解される要素はありますが、ロジラテジーにとっての主戦場はその部分ではないと考えていますし、部分最適化のご相談は、極力、お断りしています。自社で関わる事案、自社のコアバリューは、企業経営そのものであって、一般的な物流コンサルティング会社と混同されないように、業務の一部を代行する、あるいは、生産性調査を生業にする、はたまた、元請で入ってピン撥ねすることを忌み嫌っています。

 率直に申し上げると、ロジラテジーのキラーコンテンツは、何よりも、戦略。戦略ありきというのが全ての基本です。そして、業務レベルで申し上げれば、次の二つの点を手がけていきたいと考えています。第一に、荷主企業のSCM戦略構築(SCM・ロジスティクス改革)、次に、物流企業の経営戦略。これらを実現するための、財務戦略的アプローチ、マーケティング戦略的アプローチとロジスティクスコンサルティングの融合。掻い摘んだ説明で恐縮ですが、私のキャリアからお察し頂きたいのですが、企業の経営戦略を実現するための“財務戦略”と“マーケティング戦略”という二つのアプローチを重要視している点がコアコンピタンスなのです。将来的には、私なりの(物流業界ではあまり積極的に活用されていない)"金融"の視点、そして、“IT”により規模の経済性の視点を取りこみ、物流業界のエキスパートとともに、物流業界の“異端児”として勝負していきたいと考えています。

 また、ベンチャー経験を活かし、物流ビジネスプロデューサーとして、独自の価値観を創造していきたいと日々奔走しています。


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※2011年1月16日に加筆・修正。
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