23 このブログで何度かご紹介したことがありますが、落ち葉が目につくこの時期、毎年、思いだす文章です。今から7年前、当時、福岡在住の頃、多い時には100名以上の10〜20代を集めて、朝早起きして気持ちの良いことをする「朝吉の会」という活動をしていました。朝6時に、警固公園に集合して、天神界隈のゴミ拾い活動をしたときに感じたことを綴った文章を読売新聞西部版のWEBに掲載して頂いたものです。落ち葉をゴミという時代、人間が、身勝手にアスファルトでそこら中を固め、人間だけが地球の生き物であり、人間の視点でルールを作ることに違和感を覚えないのは、どこか人間が傲慢になっている証なのではないでしょうか。以下、本文です。
 先月、とあるイベントで、早朝の天神・大名のゴミ拾い清掃活動を行った。普段、何気なく歩いている路地も、いざゴミを拾ってみると、出るわ出るわ、ゴミの山である。空き缶、ペットボトル、タバコの吸殻はもとより、中には食べかけの調理パンなどが水溜りに落ちていたケースもあった。

 しかし、路上に落ちているゴミの中で、人によって対応が別れたモノがある。それは落ち葉。結果的には、落ち葉をゴミとして拾う人が大半だったような気がした。気になったので、福岡市の緑のリサイクルセンターに話を聞いてみると「落ち葉は可燃ゴミ」とのこと。

 昨今、福岡市では、とかくケヤキの話が賑わってますが、その一方で、「落ち葉はゴミか?」そんな身近な議論から、21世紀を生きる知恵、自然との共生のあり方が開けてくるような気がする。

 そして、私は、明日の朝もゴミを拾う。そのことを「パフォーマンス」だとかとやかく言う人もいる。そんな声は気になどせずゴミを拾う。自分自身が初めの一歩を踏み出せる人であるために。