菅総理は、経済の立て直しは「一に雇用、二に雇用、三に雇用」と繰り返す。「雇用があればモノが生まれて経済成長し、税収が上がる。それを生かして社会保障も強くなる」という理由からだ。かといって、未曾有の円高・労働法規制強化の折、そう簡単に雇用できるものではない。中小企業に至ってはなおさらだ。
 以前から、疑問に思っていたことだが、助成金バラ撒いてかりそめの「雇用を創出する」くらいなら、志ある若者やリタイアした団塊世代が“起業”し易い制度設計に力を入れるべきだと思う。

 「雇用」とは、必ずしも、「される立場」である必要はなく、「する立場」であってもよい筈だ。雇用やキャリア形成関連の助成金に使われ方を見聞きする限り、ドブに捨てているのと然して変わらない。専ら、報われるのは労働者ではなく、助成金による受益者でしかない。ましてや、この時代の変革期、従来の軌道の上のビジネスへの雇用に税金を投入したところで、延命でこそあれ、抜本的な解決にはならない。

 これまでに幾度か起業に関わってきたが、起業時におけるこの国のルールは本当に面倒くさい。尚且つ、一部のアホな税理士が「赤字は二年繰り越せる」と説くため、起業家に、ビジネスにおける負け癖すら沁み込ませてしまう。売上が上がる前から役員報酬額を決めるなど、よほど資本が充実しているか、分社化独立でもない限り困難な話だ。

 どうしてこの国は、もっと本気で“起業”を後押ししないのだろうか?

 ここ数年、この疑問に苛まれている。そして、起業こそが、雇用対策だと信じて止まないが、識者の中にそういった意見を述べる人は少ない。100年前に海を渡った先人たちのバイタリティーをおもえば、大学なども「就職率○%」などという視点ではなく、「起業率○%」を是とするような価値観になるべきであるし、就職課だけではなく、起業課、創業課なる専門部隊を作るべきだ。

 一見、乱暴な意見と受け止められるが「起業対策こそ雇用対策」。絶対に、これしかない。もう一度、この国がエネルギーを持つための政策に資金を投じることが、最も、正しい税金の使い方ではないかと思ってならない。