終戦記念日の前日となる14日午前、靖国神社致しました。このブログで幾度となく述べて参りましたが、私は、靖国神社参拝賛成の立場です。“国を愛し、平和を愛す”、その思いの形として、今日の平和国家“日本”の礎を築いた戦没者の霊に祈りを奉げて参りました。私自身は、靖国神社に参拝することが、過去の戦争を美化したり、軍国主義を正統化したりすることを意味しないと考えています。“永遠の平和を希求する”、その思いを、自身の胸に刻む意味で、時折、靖国神社に参拝しています。
二年前、海上特攻隊として出撃命令を受けたまま終戦を迎えられた方の話をお伺いする機会がありました。「まだ、陛下から解除命令が出ていない」、「自分だけ生きて、(散った戦友に)申し訳ない」、「日本の復興のために一生懸命働くことが生かされた自分の使命と思っていた」との話を、胸が詰まる思いで拝聴しました。
この国の平和を信じ、先の大戦で命を落とした先人の思いを省みたとき、「果たして、今の日本を見てどう思うのだろうか?」と、釈然としない思いでいっぱいです。この国は、膨大なる豊かさを手にした一方、大事な何かを失ってしまっている。
靖国神社参拝の是非しかクローズアップしないニュース報道。「平和とは何か」、「日本の、世界の平和のために何をすべきか」、という一番大事なことが語られずに、数日もすると、終戦記念日すら、何もなかったかのように忘れ去られてしまう今の社会に危機感を覚えます。
二度と、戦争という凄惨な過去を繰り返さないためにも、靖国神社に参拝し、先人の思いを受け止めながら、平和な社会を築き上げるために尽力して参ります。
ご参考
2006年08月15日「靖国神社参拝について(2)」
2005年10月18日「靖国神社参拝について」
2005年04月05日「国を愛し、平和を愛す」
2005年01月16日「靖国問題」
2005年01月02日「(アジア)外交についての考え方」
この国の平和を信じ、先の大戦で命を落とした先人の思いを省みたとき、「果たして、今の日本を見てどう思うのだろうか?」と、釈然としない思いでいっぱいです。この国は、膨大なる豊かさを手にした一方、大事な何かを失ってしまっている。
靖国神社参拝の是非しかクローズアップしないニュース報道。「平和とは何か」、「日本の、世界の平和のために何をすべきか」、という一番大事なことが語られずに、数日もすると、終戦記念日すら、何もなかったかのように忘れ去られてしまう今の社会に危機感を覚えます。
二度と、戦争という凄惨な過去を繰り返さないためにも、靖国神社に参拝し、先人の思いを受け止めながら、平和な社会を築き上げるために尽力して参ります。
ご参考
2006年08月15日「靖国神社参拝について(2)」
2005年10月18日「靖国神社参拝について」
2005年04月05日「国を愛し、平和を愛す」
2005年01月16日「靖国問題」
2005年01月02日「(アジア)外交についての考え方」