「うちわで“師をあおぐ”秘書たち」(イザ!)
連日、小沢一郎民主党幹事長の疑惑報道がなされています。「説明責任を果たしていない」、「政治とカネ」といった紋切り型の評論はさておき、関連するニュースで、「へぇ〜」と思ったことがあったので、ちょっと述べたいと思います。
連日、小沢一郎民主党幹事長の疑惑報道がなされています。「説明責任を果たしていない」、「政治とカネ」といった紋切り型の評論はさておき、関連するニュースで、「へぇ〜」と思ったことがあったので、ちょっと述べたいと思います。
「延くんは居候だ。それに比べて、小沢先生のところの書生は、議員が出かける際、靴を履きやすいように、こぶし一つ間隔をあけて並べるほど気遣いが行き届いている…」
これは、今から17年ほど前、小沢一郎氏のSPを務めたこともある警護官から言われた言葉です。その気のきく書生が石川氏だったのかどうか知る由もないところではありますが、同じ時期に、大物政治家の「書生」として過ごした者として、冒頭で紹介したニュースには違和感を覚えます。
使えていた議員本人のパーソナリティーが大きく異なりますし、また、「書生」の個性も異なります。そういった意味ではイコール比較をすること自体ナンセンスですが、書生として、その後、秘書として、合計3年半くらいの間、同居していましたが、「風呂上りにうちわであおぐ」ことなど一度もない。
私の場合、そもそも、書生としての主要任務が「番記者との懇談(夜回り対応)」、「自宅における事務的業務全般」でしたので、いわゆる“身の回りの世話”といったことをしたこともなければ、求められたこともない。強いて言えば、“掃除”や“雑巾がけ”はしていましたが、それは、私の趣味が“掃除”だからといった要素の方が大きく、義務的な側面は一切なかった。
また、「書生」とはいっても、翌朝は、幹事長車に同乗し、政府与党連絡会議や、連立与党の三幹三政会議などについていく。その資料作りなどを、議員が、私の部屋で口頭で述べ、それをワープロ(当時)で打って作成する、あるいは、データを渡されて明け方までに分析しておくなど、「24時間機能するオフィス」といった色合いが濃かったように思います。
記事のなかで、小沢一郎議員の元秘書が「政治を学んだことは一度もなかった」と述べられていますが、私の場合は寧ろ真逆。
「小鮮を煮るがごとし」という政治との向き合い方にはじまり、「有権者の声に心耳を済ます」、「声なき声をきく」といった姿勢などを叩きこまれた貴重な経験でした。基本的に、短気な私が、時折、ジックリと話を聞き込んだり、体当たりで現場に行ったりすることがあるのは、この基本姿勢にもとづいているのです。
更に言えば、時折、具体的な政策について、移動の車中や自宅などで、「君はどう考える?(君が幹事長だったらどうする?)」、「それは何故だ?」、「その根拠(具体的な数字)は?」、「その判断をメディアはどう報道する?」、「その報道を受けて世論はどうなる?」、「不確定要素は何?」、「利害関係者の見解は?」、「海外の事例は?」など、“絶えず考え続ける”といった癖を身につけられました。お陰様で、この経験が、今の仕事や自分の思考にかなり活きています。
特に、口うるさく教え込まれたことが、「役人に政策で負けないくらい勉強しろ」、「専門知識を身につけろ」、「最低、関係する論文を読んでおくくらいのことはしろ」ということ。私が、局地的な専門知識があったりするのも、学生時代からのこういった訓練によるものです。
書生当時、秘書当時は、同僚秘書や先輩秘書に気を使って、あまり、事務所内で話したことはないのですが、時折、自宅近くのワインバーに立ち寄ったり、バーで飲んだり。その時に、政治家としての判断に解らない部分があったら、率直に質問し、考え方を教えてもらったりと、まるで、小沢一郎氏の書生の方とは随分と違った書生時代だったんだな〜としみじみ思いました。
“師弟関係”という言葉にも、様々な形があって良いと思います。そして、秘書からすぐに議員バッジをつけることが「成功」で、私のように落選し、長〜い浪人生活を過ごすことが「失敗」だとも思わないし、秘書出身だからといって、「親分の言うことは絶対」という価値基準が、有権者の付託を受ける上で必ずしも必要だとは思わない。寧ろ、有権者の審判を受け、一人の政治家となったならば、自分自身の価値判断で、この国の将来への道と、有権者のみに忠実に歩むべきであると考えます。
身の回りの世話をしない、気の利かない私は、所詮、“居候”としての存在だったのかもしれませんが、「有権者を欺く」、あるいは、「説明責任を果たす必要はない」ということを教え込まれたことは一度もない。その一点だけとっても、胸を張っていいのではないかと思います。
こう自身の「書生?」時代を振り返ったとき、自身の礎を築かせて頂いたことを、今更ながらに再認識させられたので、こういった主張の無いブログを書いてみました♪
これは、今から17年ほど前、小沢一郎氏のSPを務めたこともある警護官から言われた言葉です。その気のきく書生が石川氏だったのかどうか知る由もないところではありますが、同じ時期に、大物政治家の「書生」として過ごした者として、冒頭で紹介したニュースには違和感を覚えます。
使えていた議員本人のパーソナリティーが大きく異なりますし、また、「書生」の個性も異なります。そういった意味ではイコール比較をすること自体ナンセンスですが、書生として、その後、秘書として、合計3年半くらいの間、同居していましたが、「風呂上りにうちわであおぐ」ことなど一度もない。
私の場合、そもそも、書生としての主要任務が「番記者との懇談(夜回り対応)」、「自宅における事務的業務全般」でしたので、いわゆる“身の回りの世話”といったことをしたこともなければ、求められたこともない。強いて言えば、“掃除”や“雑巾がけ”はしていましたが、それは、私の趣味が“掃除”だからといった要素の方が大きく、義務的な側面は一切なかった。
また、「書生」とはいっても、翌朝は、幹事長車に同乗し、政府与党連絡会議や、連立与党の三幹三政会議などについていく。その資料作りなどを、議員が、私の部屋で口頭で述べ、それをワープロ(当時)で打って作成する、あるいは、データを渡されて明け方までに分析しておくなど、「24時間機能するオフィス」といった色合いが濃かったように思います。
記事のなかで、小沢一郎議員の元秘書が「政治を学んだことは一度もなかった」と述べられていますが、私の場合は寧ろ真逆。
「小鮮を煮るがごとし」という政治との向き合い方にはじまり、「有権者の声に心耳を済ます」、「声なき声をきく」といった姿勢などを叩きこまれた貴重な経験でした。基本的に、短気な私が、時折、ジックリと話を聞き込んだり、体当たりで現場に行ったりすることがあるのは、この基本姿勢にもとづいているのです。
更に言えば、時折、具体的な政策について、移動の車中や自宅などで、「君はどう考える?(君が幹事長だったらどうする?)」、「それは何故だ?」、「その根拠(具体的な数字)は?」、「その判断をメディアはどう報道する?」、「その報道を受けて世論はどうなる?」、「不確定要素は何?」、「利害関係者の見解は?」、「海外の事例は?」など、“絶えず考え続ける”といった癖を身につけられました。お陰様で、この経験が、今の仕事や自分の思考にかなり活きています。
特に、口うるさく教え込まれたことが、「役人に政策で負けないくらい勉強しろ」、「専門知識を身につけろ」、「最低、関係する論文を読んでおくくらいのことはしろ」ということ。私が、局地的な専門知識があったりするのも、学生時代からのこういった訓練によるものです。
書生当時、秘書当時は、同僚秘書や先輩秘書に気を使って、あまり、事務所内で話したことはないのですが、時折、自宅近くのワインバーに立ち寄ったり、バーで飲んだり。その時に、政治家としての判断に解らない部分があったら、率直に質問し、考え方を教えてもらったりと、まるで、小沢一郎氏の書生の方とは随分と違った書生時代だったんだな〜としみじみ思いました。
“師弟関係”という言葉にも、様々な形があって良いと思います。そして、秘書からすぐに議員バッジをつけることが「成功」で、私のように落選し、長〜い浪人生活を過ごすことが「失敗」だとも思わないし、秘書出身だからといって、「親分の言うことは絶対」という価値基準が、有権者の付託を受ける上で必ずしも必要だとは思わない。寧ろ、有権者の審判を受け、一人の政治家となったならば、自分自身の価値判断で、この国の将来への道と、有権者のみに忠実に歩むべきであると考えます。
身の回りの世話をしない、気の利かない私は、所詮、“居候”としての存在だったのかもしれませんが、「有権者を欺く」、あるいは、「説明責任を果たす必要はない」ということを教え込まれたことは一度もない。その一点だけとっても、胸を張っていいのではないかと思います。
こう自身の「書生?」時代を振り返ったとき、自身の礎を築かせて頂いたことを、今更ながらに再認識させられたので、こういった主張の無いブログを書いてみました♪