“日雇い派遣”の問題を調べていると、実に、多くのことを考えさせられる。メディアにより、「“日雇い派遣”=悪」という構図が作り上げられ、日雇い派遣禁止に異論を唱えることは、まるで、弱者を批判する悪玉のようなレッテルを貼られかねない状況が出来上がっている。最早、この流れを止められないのか…
この問題を調べれば調べるほど、日雇い派遣を禁止したところで、本来、光が当てられるべき“日雇い派遣労働者”の明日が輝く訳ではないことを思い知らされる。現時点で、“日雇い派遣”の定義そのものの議論が確立されている訳ではないものの、これまでの行政の解釈から推察すると、概ね、「30日以内の短期労働」という基準に落ち着くのではないだろうかと見ている。
私の主張は、一見、経営者より、あるいは、業界よりと受け止められる部分がある。しかしながら、何故、これだけこだわっているのかと言えば、やはり、日々の生活の不安に苛まれている日雇い派遣労働者がいるのであれば、その生活を直視して、改善すべきところを改善するという部分が根本にあるからである。
同時に、行政、識者、メディア、そして、政治家…。あらゆる関係者が、秋の臨時国会に向けてこの問題の議論を深まりをみせていくなかで、誰一人として、日雇い派遣労働者が、そもそも、「何故、日雇い派遣で働いているのか?」という根っこの部分を知ろうとしていない。そのことが、一番肝心な部分ではないだろうか?
日雇い派遣という労働形態を選んだ背景は、一人一人の労働者によって異なる。しかし、概して言えることは、「日雇い派遣で働いたのではなく、日払いだから働いた」という極めてシンプルな理由だったりもする。
がしかし、今日も、メディアは、“日雇い派遣”を十束一絡げにして、ステレオタイプなイメージを作り上げる。
日雇い派遣労働者の中には、アルバイトと特段区別することなく働く学生がいる。出産育児を経てパート感覚で働く人もいれば、自分の夢を追い求め、今の生活の糧として働くアーティストがいる。様々な仕事を経験することで進むべき道を模索している青年がいる。同時に、借金苦やギャンブル依存、あるいは、社会に上手く適応できない方もいる。これが現実である。
にも関わらず、大半の人たちが、メディアの報道を疑うことなく、自ら、現場の生の声を聞くことも、日雇い派遣労働者と向き合うこともなく、メディアが伝えるストーリーを鵜呑みにする。
現実に、メディアが伝える日雇い派遣労働者の切実な生活があるとするならば、本当に、彼らを救うのは、正社員や中長期の派遣労働者に“仮払い”的な給料支払いを認めることのようにも思う。現に、そのような民間のサービスは存在している。しかし、そのことはあまり知られていない。
現実を直視していけば、このようなことにすぐ気づく筈なのに…。
確かに、派遣労働の期間が短くなればなるほど、労働者の安全・衛生管理が疎かになる傾向はある。しかしながら、契約期間が一ヶ月以上になれば、労働者は、安心して働けるようになるのだろうか?
要は、期間の問題では無い。
日雇い派遣を禁止したら、バラ色になると思う方がいるならば、実際に、自分自身が、日雇い派遣労働の現場で汗を流してみるべきである。
この問題の本質は、業界の多層構造に他ならず、労働法制だけで議論することには土台無理がある。日雇い派遣という制度に直目させることは、糖尿病の患者に、局部麻酔をして、一時的に誤魔化しているようなものだ。
よしんば、労働法制の議論を行うとするならば、厚生労働省が自ら開いた“派遣”という“パンドラの箱”そのものの議論を行うべきであり、そのごく一部でしかない“日雇い派遣”を切り出して、スケープゴートにすることは本末転倒である。
更には、派遣、二重派遣、請負などの法的な言葉の定義を再度見直して、根本的には、労働現場の頂点に位置する発注主(メーカーや荷主)に労働者の安全・衛生管理の責任を負わせるか、それが法の整合性で難しいのなら、せめて、派遣元だけではなく派遣先にも労働者に対する責任を負わせる。その議論を行わなければならない。
“日雇い派遣”を禁止するだけでは何も変わらない。
その確信を得ているにも関わらず、自身の声が社会に届かない。やはり、行政の壁、政治の壁、メディアの壁の前では、個人の力は無力である。
霞ヶ関の会議室で議論するエリート官僚が現実を解らないのは(折り込み済みなので)致し方無いとしても、現場の声を届けるべき政治家が現実を直視しないことを何より腹立たしく思う。
そして、この問題は、最終的には、政治判断を要する。それは、日雇い派遣を禁止するかどうかなどという瑣末な議論ではなく、景気に頭打ち感があるなかで、何らかの労働法制上の法改正を行なうことは、少なからず実経済に負担が出てくる。大手の仕事は一括請負に流れていくとしても、個別企業の仕事にボリュームの無い中小企業にはキツイ。
どうするかという対応策もピントが外れており、いつやるかというタイミングの意識など微塵も無い。本来、慎重な手綱捌きを求められる政治判断であるにも関わらず、支離滅裂な政策議論をしている。あまりにお粗末過ぎる。今一度、議論の交通整理を行なうべきだ。
一体、政治家は、どこに軸足を置き、誰の顔をみて仕事をしているのだろうか?
最近、政治家が解らない。
今はただ、自分の非力さをもとかしく思う。
私の主張は、一見、経営者より、あるいは、業界よりと受け止められる部分がある。しかしながら、何故、これだけこだわっているのかと言えば、やはり、日々の生活の不安に苛まれている日雇い派遣労働者がいるのであれば、その生活を直視して、改善すべきところを改善するという部分が根本にあるからである。
同時に、行政、識者、メディア、そして、政治家…。あらゆる関係者が、秋の臨時国会に向けてこの問題の議論を深まりをみせていくなかで、誰一人として、日雇い派遣労働者が、そもそも、「何故、日雇い派遣で働いているのか?」という根っこの部分を知ろうとしていない。そのことが、一番肝心な部分ではないだろうか?
日雇い派遣という労働形態を選んだ背景は、一人一人の労働者によって異なる。しかし、概して言えることは、「日雇い派遣で働いたのではなく、日払いだから働いた」という極めてシンプルな理由だったりもする。
がしかし、今日も、メディアは、“日雇い派遣”を十束一絡げにして、ステレオタイプなイメージを作り上げる。
日雇い派遣労働者の中には、アルバイトと特段区別することなく働く学生がいる。出産育児を経てパート感覚で働く人もいれば、自分の夢を追い求め、今の生活の糧として働くアーティストがいる。様々な仕事を経験することで進むべき道を模索している青年がいる。同時に、借金苦やギャンブル依存、あるいは、社会に上手く適応できない方もいる。これが現実である。
にも関わらず、大半の人たちが、メディアの報道を疑うことなく、自ら、現場の生の声を聞くことも、日雇い派遣労働者と向き合うこともなく、メディアが伝えるストーリーを鵜呑みにする。
現実に、メディアが伝える日雇い派遣労働者の切実な生活があるとするならば、本当に、彼らを救うのは、正社員や中長期の派遣労働者に“仮払い”的な給料支払いを認めることのようにも思う。現に、そのような民間のサービスは存在している。しかし、そのことはあまり知られていない。
現実を直視していけば、このようなことにすぐ気づく筈なのに…。
確かに、派遣労働の期間が短くなればなるほど、労働者の安全・衛生管理が疎かになる傾向はある。しかしながら、契約期間が一ヶ月以上になれば、労働者は、安心して働けるようになるのだろうか?
要は、期間の問題では無い。
日雇い派遣を禁止したら、バラ色になると思う方がいるならば、実際に、自分自身が、日雇い派遣労働の現場で汗を流してみるべきである。
この問題の本質は、業界の多層構造に他ならず、労働法制だけで議論することには土台無理がある。日雇い派遣という制度に直目させることは、糖尿病の患者に、局部麻酔をして、一時的に誤魔化しているようなものだ。
よしんば、労働法制の議論を行うとするならば、厚生労働省が自ら開いた“派遣”という“パンドラの箱”そのものの議論を行うべきであり、そのごく一部でしかない“日雇い派遣”を切り出して、スケープゴートにすることは本末転倒である。
更には、派遣、二重派遣、請負などの法的な言葉の定義を再度見直して、根本的には、労働現場の頂点に位置する発注主(メーカーや荷主)に労働者の安全・衛生管理の責任を負わせるか、それが法の整合性で難しいのなら、せめて、派遣元だけではなく派遣先にも労働者に対する責任を負わせる。その議論を行わなければならない。
“日雇い派遣”を禁止するだけでは何も変わらない。
その確信を得ているにも関わらず、自身の声が社会に届かない。やはり、行政の壁、政治の壁、メディアの壁の前では、個人の力は無力である。
霞ヶ関の会議室で議論するエリート官僚が現実を解らないのは(折り込み済みなので)致し方無いとしても、現場の声を届けるべき政治家が現実を直視しないことを何より腹立たしく思う。
そして、この問題は、最終的には、政治判断を要する。それは、日雇い派遣を禁止するかどうかなどという瑣末な議論ではなく、景気に頭打ち感があるなかで、何らかの労働法制上の法改正を行なうことは、少なからず実経済に負担が出てくる。大手の仕事は一括請負に流れていくとしても、個別企業の仕事にボリュームの無い中小企業にはキツイ。
どうするかという対応策もピントが外れており、いつやるかというタイミングの意識など微塵も無い。本来、慎重な手綱捌きを求められる政治判断であるにも関わらず、支離滅裂な政策議論をしている。あまりにお粗末過ぎる。今一度、議論の交通整理を行なうべきだ。
一体、政治家は、どこに軸足を置き、誰の顔をみて仕事をしているのだろうか?
最近、政治家が解らない。
今はただ、自分の非力さをもとかしく思う。




























