今から15年前、“政治改革”をキーワードに政治が紛糾し国民を巻き込んだ議論が行われた時期があります。調度、私が高校生を卒業する頃で、“政治家になろうと”と思い出した頃の話です。当時、小沢一郎議員(現:民主党党首)が『日本改造計画』という著作を発表し、“当たりまえの国”を説きました。私自身も、その主張に触発され、“CHANGE”を期待した一人でした。
 全ての政治の元凶は、(選挙にお金がかかる)選挙制度にある。

 嘗て、小選挙区制の導入の選挙制度改革と政治資金法改正が焦点となり、そのことが“政治を良くすること”だと誰しもが疑わない時期がありました。小沢一郎議員、羽田孜議員を中心とする旧竹下派の面々が離党し新生党を結成、宮澤内閣の不信任案が可決され、非自民党政権である細川政権の誕生へと進んでいくことになります。

 当時、政界再編の引きがねとなる小沢議員らの自民党離党に際し、その記者会見の席上で異論を唱えた一人の政治記者がいました。近年のマスコミ志望者のバイブルとも言われる『政治ジャーナリズムの罪と罰』の著者であり、現在、日経新聞のコラムニストとして活躍している田勢康弘氏です。

 自民党から離脱し新党結成を叫ぶ彼らに対し、「今まで、自民党の権力の中枢として(故田中角栄総理の名の下に)権勢を振るってきた人物が組織批判を行なうのは本末転倒ではないのか」、そして、「組織を改革するならば、組織内に留まって組織改革を行なうべきではないのか」。正確な表現は忘れましたが、このような主旨の指摘だったと思います。

 私自身、小沢氏の主張に共感している部分がありましたが、この一人のジャーナリストの発言に目が覚める思いがしました。時を同じくして、大学生1年生だった私は、今でいう政治家の事務所のインターンのようなことをしていました。政治改革に異議を唱え、“守旧派”と烙印を押されたYKKの旗頭である加藤紘一議員の事務所です。

 ある時、4〜5名の国家議員が集まる部屋に呼ばれ、当時議論されていた小選挙区制度について、具体的には、小選挙区定数300名と250名の場合のシミレーションをするようにとの指示を受けました。過去の選挙データをもとに、まとめるのに夜通し3日間くらいかかったことを懐かしく思い出します。

 それから時が流れ、小選挙区制度が導入され“政権交代”可能な土台が作られました。幾たびかの離合集散を経て、概ね、政権交代の受け皿となる野党精力も一本化されつつあります。次期総選挙は、与野党が凌ぎを削る“天王山”となることが予想され、政治の関心事がそのことに集まっています。

 初の本格的“政権交代”に向けて、小沢一郎議員は、政策を二の次にした形振り(なりふり)構わない手法を取っています。マックスウェーバー的(社会学的)な政治学に照らし合わせれば、権力を取り掲げる政策を実現するために手段を選ばないという考え方は、“手法論”としては正しいのだろうと思います。

 しかし一方で、昨年の参議院選挙において、ある種、ばら撒き的な発想である有権者への利益誘導政策を掲げ勝利し、予算配分による党勢拡大という“いつか来た道”を加速していこうとしている小沢一郎氏率いる民主党の姿に、嘗て、小沢一郎氏自身の“CHANGE”という言葉に胸を躍らされた“期待感”は色褪せてしまっています。

 そもそも、民主党の最大の魅力は、あらゆる既得権益に縛られることなく、全ての政策判断を是々非々で行う姿勢そのものにあったのではないだろうかと考えています。それが、国民の“政権交代”という期待を背負った民主党の存在理由だったのではないでしょうか。しかし、今の民主党には、前原誠司議員の発言に対する党内の動きを見ても、異議を唱える党内の声を封じ込めようとするムードがあるように感じます。

 今、私は、このような政治の状況を離れたところから眺めながら、また、15年前の政治改革議論から、継続して、政治を眺めてきた者として、“CHANGE”という言葉の虚しさを痛切に感じています。

 何も変わらない“CHANGE”という政治ドラマが繰り返されるのかと…。