外出から帰ってきたら、テレビで『それでもボクはやってない』をやっていたので見入ってしまいました。いわゆる“冤罪”事件に関する話で、杜撰な捜査や取調べ時の脅迫・強制的行為などを耳にします。個人的には、そのようなこともあるのだろうと思う反面、戦後のドサクサのような頃と比べると、幾分かは改善してきているのだろうと信じたい一面もあります。
 私自身は、警察で取調べを受けた経験が無いのですが、6年前には、二回検察に赴く機会がありました。一回目は秘書をしていた事務所の事件に関連して、二回目は、自身の選挙スタッフの違反事件に関連してです。

 確かに、細かなことを言えば、聞かれた質問と出来上がった叩き台の調書とのニュアンスの違いなどはありましたが、いずれも、調書を修正した上でサインしましたし、取調べにおいて恫喝的な言動を受けたことは無いです。

 そもそも、日本語は、極めて曖昧な言語であり、句読点の打ち方、あるいは助詞しだいで、内容そのものが変わってくるという特徴があります。ですから、調書を作る際には、何時間もかけ、かなり詳細な文言にまでこだわり、何度も修正を重ねて、納得いく形でサインしました。

 質問の主旨が曖昧な時には、「嫌疑がかかっている令状でその質問ができるのか?」とか、「言葉を調書に定義してくれ」とか、「税法上はこう解釈するのが一般的なのに、何の法を根拠にその主張をしているのか?」という感じで細かな注文をつけたりもしました。

 一方で、二回目の捜査に関わった県警も、裁判終結後に押収資料を受け取りにいったときなどに、逆に、激励されるなど、正直、“不信感”や“恨み”などとは無縁であったというのが率直な感想です。

 検察であれ、警察であれ、仕事として取調べをしているというこちら側の理解もあったように思います。また、たまたまなのかもしれないですが、関わった方々にも恵まれていただけの話なのかもしれません。

 私自身は、このような経験をしたこともあって、最近では、捜査当局の不祥事による信頼失墜は勿論のこと、冤罪事件や違法な捜査などを無くし、国民から信頼される捜査当局、司法のあるべき姿を形作るために尽力していきたいとの思いがあります。

 その一つのやり方として、法曹人口の激増が危ぶまれている昨今だからこそ、検察庁の人員を増加し、もう少し、捜査段階から検事が捜査の現場に出向くとと同時に、取調べの正当性を確保する意味でも、“開かれた捜査(=事後的に検証可能な操作)”、“開かれた司法”が求められているのだろうと思います。

 今宵見た映画は、捜査のあり方、司法のあり方に一石を投じる上では意義深いものだとは思いますが、これらに対する知識や経験が無い方にとっては、これが全てだと思いかねない描き方がされている点、更には、だからどうしていくのかという方向性を見据えていない点において、一抹の物足りなさを感じました。