昨年、10月末、九州での仕事の合間に、大学の後輩の村田君を連れて、久留米の実家に立ち寄ったときの話です。正味一時間ほどの両親との懇談の席だったのですが、日頃、話(ギャグ?)が面白く無い父が、非常に、興味深い話をしていました。

 父は、リタイヤして10年近くが経っておりますが、もともとは、筑後市役所の職員でした。主に、若かりし頃は、財政畑を歩み、途中からは、転じて、市立病院はもとより、医療・福祉畑を中心に歩んできました。自ら「数字に強い」と自負するほど、数字には強いようです。話は、市立病院を担当していた頃の話です。
 父が市立病院の担当になった頃、全国の公立病院がそうであるように、多分に漏れず財政状況は火の車。(数字は未確認のため定かではないですが)200床ソコソコの病院にして、5.9億円/年の赤字を出していたそうです。

 詳細な施策は割愛致しますが、父は、関係各所の協力を得ながら、長い年月をかけて、1.9億円/年の黒字病院に転換したそうです。“改革”手法は、病院再生において侭ある効率化手法なのかもしれないですが、最も、大変だったことは“職員の意識改革”だったらしい。

 改革が成功した裏には、筑後地域の医者の大半を占める久留米大学医学部の絶大な協力があり、現在の大学長の薬師寺教授を、病院長として招聘するなど、人的要因にかなり恵まれた環境が整っていたことが特筆できます。ちなみに、父曰く、やはり、トップの存在は重要だそうです。

 今から10〜20数年前の話なので、昨今のような、再生における金融スキームが充実していなかったことを考えると、「全国的に公立病院は赤字でも構わない」という雰囲気が蔓延するなかで、“改善活動”を地道に続けたことは、“奇跡”にも近い成功事例ではないかと思います。私も知らなかったことですが、当時、この取り組みが、自治省(?)からモデル事業として表彰されたそうです。

 話には”オチ”があって、市立病院の黒字化に成功して臨んだ市議会において、とある議員さんから、「市民のための市立病院を黒字化するとはけしからん…」というツッコミが入ったそうです。この時のことは、子供ながらに、父が凹んでいるのを覚えており、「何故?」という疑問を抱いたことを覚えています。

 今思うと、私の“行財政改革”に対する尋常じゃない意気込みと、“再生”にこだわる生き方は、子供の頃のこの時の体験が根っこにあるように思います

 さて、父が「市立病院の改革」に着手するにあたり、(往々にして想像がつきますが)ほぼ、全ての関係者が「無理だ」と言い、反対したそうです。

 父が、後輩の村田君に、「改革するときに、賛成者は一人もいない。ただ、それが必要なことならば、信念をもって何十年もやり続けなければいけない。改革した時にはじめて、全員が賛成者になる。結果を出すと全てが変わる。」ということを熱っぽく語っていたのが印象的でした。

 今年で70歳を迎える父ではありますが、「実現できると思ったことは実現できる」「改革は、必ず、反対される。信念がないとやれない」と語りながら、「人生これからですよ…」と、不必要に(?)“やる気”な父の姿を嬉しく思いました。

 このような話を今までに一度も聞いたことなどなく、ネタ合わせもしていないのに、私と同じような話をする父の姿を見ながら、つくづく“親子だな〜”と思いました。(笑)

 そんな父は、市役所退職以降も、筑後地域のそこそこの規模の病院の顧問や相談役を務め、各種の病院改革に取り組んでいる模様。最近では、何を話しているのかしれないですが、高齢者学習のような講座で医療や福祉の講演をすることもあるらしい。(←私は、詳しく知らない。)

 僭越ながら、仮に、「病院再生」というテーマで講演するならば、もう少し、テクニカルな面を整理してまとめた方が解り易く、昨今の事例(中でも、金融スキーム)を取り込んだ方が面白くなるように思います。息子ながら、“黒転”した当事者だからこそ語れる妙な説得力があり、赤字経営に悩む全国の自治体病院のお役に立てるのではないかと感じました。興味がある方は、私に、ご連絡下さい♪

 そんな父に、いつまでも長生きしてもらいたいです。感謝。