前から自覚があることではありますが、私には、“イケナイ癖”があります。それは、時として、「気が長い」と称されるように、物凄くロングスパンで物事を見てしまう癖です。
 ある意味、鼻ッから“無理なときは何をやっても無理”という割り切りをするので、一見、冷たい人と受け止められることが多いようですが、物事には“潮目”みたいなものがあって、流れが変わらないとどうにもならないような局面があります。

 例は極端ですが、今、空中を飛ぶ車を予約販売したとしても、そんなに売れないでしょ?

 これは、時として、人間関係などのエモーショナルな局面や、あるいは、大きく言えば外交局面などでも同じことが言えます。そのときは理解しあえなくても、5年、10年と、時間の経過とともに状況が変わるというようなことはよくあります。“時の流れに身をまかせ”と言えばそれまでのことですが、全てを任せきりかと言えば少し違うような気もします。

 何が違うかと言うと、“潮目”、言うならば、“変化の予兆”(タイミング)を見計らっている点です。

 私の場合、何故かこのような意識が強く、意外と、「その時点で何もしない」という選択肢を選ぶことがあります。言うならば、自分自身のモノサシで、ある程度の原理原則に則ってやっているので、上手く説明はできないのですが、躊躇することなく「wating room」とも言うべき心のフォルダにしまってしまうのです。

 この選択肢を選ぶことは、往々にして、その時点では、(心あらずと見えるのか)猛批判を浴びることが多いですが、今のところ、時間の経過とともに解決されることが大半です。困難な局面に相対すると、得てして、人は、状況を打開するために右往左往するものですが、“無理な時は無理”なもの。

 皆さんも、心の中に、「待つ」というフォルダを作ってみてはいかがでしょう?

 忘却さえしなければ、きっと、少しは気長に、愛と優しさを持って事に臨むことができると思います。人生は山あり谷あり、最終的に、良い結果が出ればそれでいいのではないでしょうか?