このブログは、昨晩、アップしようとして止めた記事です。それでは、何故アップするのかという明確な説明は出来ないけれども、率直な、最近の心境を述べたいと思います。
会社を創業して二ヶ月近くが経ちました。お陰様で、多くの方からご声援を頂き、また、お仕事の話をご紹介頂きます。「売上」という点においては、まだ、この会社だけで十分に飯が食べられるほどではないけれども、少しづつ手応えを感じつつあるのも事実です。
これは、今更始まったことではないのですが、現在の心境を一言で述べるならば、「物凄く不安」です。正直、毎晩、眠ることができないほど不安です。
会社を創業して二ヶ月近くが経ちました。お陰様で、多くの方からご声援を頂き、また、お仕事の話をご紹介頂きます。「売上」という点においては、まだ、この会社だけで十分に飯が食べられるほどではないけれども、少しづつ手応えを感じつつあるのも事実です。
これは、今更始まったことではないのですが、現在の心境を一言で述べるならば、「物凄く不安」です。正直、毎晩、眠ることができないほど不安です。
極めて私に近しい方々はご存知なことなのですが、私は、あまり睡眠時間をとりません。週に数回貫徹することも珍しく無いような生活をしています。ですから、予定の無い土日などには、20時間以上も意識が無くなったように眠ることもあります。
「何故、眠れないか?」
それは、社歴も無い私たちに“チャンス”を頂いて、私たちを必要としてくれる誰かの思いに応えるために、任された仕事のことを日夜考えているからです。無論、私にも、学んだ知識や経験がありますので、多くの場合は、今までの経験則の応用で対応がききます。しかしながら、少なからずナレッジをご提供させて頂く商いをさせて頂いている限り、≒条件は存在したとしても=条件など有り得ない。また、外部環境は刻一刻と変化を遂げます。ですから、「何か足りていない視点があるのではないだろうか?」、あるいは、「何故、この疑問点が消えないのだろうか?」などということを最終電車で帰った後も考え続けていると、いつも朝を迎えてしまうのです。
正直言えば、私が何時間かけて考えるよりも、一瞬で天才的なヒラメキをする方が、世の中にはいらっしゃるのだろうと思います。実際に、私の周りには、そのような方が多くいらっしゃいますし、熟考したPLANでさえも、いとも簡単に打ちのめされることがあります。単純に、私に、能力が無いだけの話ではありますが、まだまだ、努力も足りないのでしょう。
さて、話は変わりますが、よく“大胆な言動”とか“自由な発想”という評価を頂くことがあります。正直に言えば、それは、私に対する誤った理解です。
何故ならば、私が、恐ろしいまでに“大胆な言動”を行なうときは、単に、自身の中の「何故?」という不安を打ち消すためにやれるだけのことはやったという実感が持てる数%のケースでしかなく、“自由な発想”と評価を受けるときは、違う業界の考え方を持ち込んだり、パラダイムチェンジをしたりして、可能な限り考えつくせる選択肢を出し、一つ一つ検証して消去。その結果として、たまたま残った選択肢があるだけの話なのです。
最近では、どうにかこうにか“コツ”を掴んできて、PDCAを廻すサイクルも早く精度も上がってきましたが、それでも、解くことができない“解”があります。“解”を導き出すために事実を積み上げていくと、すぐ、朝になる。絶えるとの無い「不安」を「自信」に変えていく。そして、新たなる「不安」と向き合う。そんなことを毎日繰り返しています。
“不安”について脈略も無く綴ってしまいましたが、何十時間“考える”ことよりも“動く”ことの方が賢明。このことは確実に言えます。
「何故、眠れないか?」
それは、社歴も無い私たちに“チャンス”を頂いて、私たちを必要としてくれる誰かの思いに応えるために、任された仕事のことを日夜考えているからです。無論、私にも、学んだ知識や経験がありますので、多くの場合は、今までの経験則の応用で対応がききます。しかしながら、少なからずナレッジをご提供させて頂く商いをさせて頂いている限り、≒条件は存在したとしても=条件など有り得ない。また、外部環境は刻一刻と変化を遂げます。ですから、「何か足りていない視点があるのではないだろうか?」、あるいは、「何故、この疑問点が消えないのだろうか?」などということを最終電車で帰った後も考え続けていると、いつも朝を迎えてしまうのです。
正直言えば、私が何時間かけて考えるよりも、一瞬で天才的なヒラメキをする方が、世の中にはいらっしゃるのだろうと思います。実際に、私の周りには、そのような方が多くいらっしゃいますし、熟考したPLANでさえも、いとも簡単に打ちのめされることがあります。単純に、私に、能力が無いだけの話ではありますが、まだまだ、努力も足りないのでしょう。
さて、話は変わりますが、よく“大胆な言動”とか“自由な発想”という評価を頂くことがあります。正直に言えば、それは、私に対する誤った理解です。
何故ならば、私が、恐ろしいまでに“大胆な言動”を行なうときは、単に、自身の中の「何故?」という不安を打ち消すためにやれるだけのことはやったという実感が持てる数%のケースでしかなく、“自由な発想”と評価を受けるときは、違う業界の考え方を持ち込んだり、パラダイムチェンジをしたりして、可能な限り考えつくせる選択肢を出し、一つ一つ検証して消去。その結果として、たまたま残った選択肢があるだけの話なのです。
最近では、どうにかこうにか“コツ”を掴んできて、PDCAを廻すサイクルも早く精度も上がってきましたが、それでも、解くことができない“解”があります。“解”を導き出すために事実を積み上げていくと、すぐ、朝になる。絶えるとの無い「不安」を「自信」に変えていく。そして、新たなる「不安」と向き合う。そんなことを毎日繰り返しています。
“不安”について脈略も無く綴ってしまいましたが、何十時間“考える”ことよりも“動く”ことの方が賢明。このことは確実に言えます。































