民間の立場になってはや3年。折に触れ、ベンチャーキャピタル(以下、「VC」)の方々と関わる機会がありました。以前、VCについて書いた際(「経営者交流会」「本日のblogの感想 〜とある元VCの方より〜」)に指摘したこともありますが、VCというのはつくづくビジネスセンスが無いことを痛感します。実際、VCの紹介案件(ビジネスチャンス)というのは、“眉唾”の痛い話が多い。(※勿論、まともな話もあります。)
職制上、一応、紹介された話なので、淡々と潰していきますが、案件紹介を受ければ受けるほど、この人たちは、会社の何を見て出資しているのだろうかという疑問が大きくなっていきます。VCからすると、一応、手続きに則り、諸々を勘案して出資している訳なので、相応に、分析をされているのでしょうが、帳簿と上っ面のヒアリングだけで、会社の本質を理解することは土台無理な話。
先般、青学出身のとある一部上場の経営者の方が、「VCの顔色を見始めると大体ベンチャーはダメになる」という話をされていたと後輩から聞きました。全く、その通りだと思います。
ここ数年、企業経営においてステークホルダー(Stake-holder)を重要視する動きが台頭してきています。結局のところは、バランスの話だと思いますが、個人的には、真っ先に、配慮すべきは“お客様”と“社員”、そして、“地域社会”だと考えています。VCなどという存在に対する気遣いは一番最後。
にも関わらず、ダメになるベンチャー企業の多くは、VCの顔色を伺うことを無意識のうちに優先します。そのことに賛否両論があることは承知の上ですが、敢えて言えば、そのようなベンチャー企業は、歪(いびつ)なファイナンス(資金調達)を行っているか、身の丈にあっていない“虚業”を行っている証でしかない。本末転倒な話です。
と言いつつも、限られた民間経験の中で、資金面も含めてベンチャー育成に関わってみたい(=名実が伴ったベンチャー支援)という思いがあります。(ご参考 2007年01月24日「やってみたいこと」)
4月からインディペンデント・コントラクターとなり、ある種、自由な立場です。私の考え方に共感して、一緒に、仕事がしたいと思われた方は、お気軽に、ご連絡下さい。私が仕事をお受けするかどうかの基準は、「私自身が、ご依頼を受けたお仕事に社会大義があると感じるかどうか」、それだけです。
またしても、タイトルから大きく本文が逸脱してしまいましたが、数字しか見ることが出来ないVCの姿を垣間見ながら、5年前に書いた拙文を思い出しましたので、締めにご紹介させて頂きます。(20代のときの拙文なので恥ずかしくはありますが…(笑))
2002/12/29 (日)
『指標として出てくる数字だけで政策を考えているとリアルな生活とギャップが出てこないかという疑問』
昨今、政財界において、様々な指標を最優先するあまりに、国民の生活実態に即していない処方が安易に取られていることに警鐘を鳴らしたい。’97年のタイバーツの下落に端を発した金融危機以降、国際金融市場の対処を最優先した施策が重視され過ぎた結果、指標第一主義の経済政策に踊らされていたのではないだろうかという視点を提唱したい。
行財政改革は、生活者の安全、且つ、安心な生活を保証する上での利便性・効率性のために行うべきものであり、官公庁がマスコミや世論の批判をかわす為に行うべきものではない。又、不良債権処理を迅速に行うことには異論がないが、国際金融市場の評価というのは単なる事実の結果であり目的ではない。生活者の実感の伴わない指標による経済分析の結果の施策は、株価対策だけに邁進する存在意義を喪失した企業と同じである。
現在の財政政策は、本来、過程である不良債権処理の数字減らし自体を、目的と誤認していることに誤りがある。そのことに生活者の理解を求めるのは無理なのではないだろうか。そのために我われは、財政施策の目的が、日本が国際社会において信頼喪失すること、即ち、国家としての破綻を起こさないことが、全ての生活者の安全、且つ、安心な生活を保障することであることを正しく認識し喧伝しなければならない。
久しぶりに固めの文章を書こうと思ったら、書いてて不自然になってきたのでいつもの調子で。つまり、指標って此処の事象の集合体である訳で、数字に出てくる目に見える部分だけを見てると、現実にそぐわなくなるのは当り前なのかなぁ〜ってことです。元々、政治って、新しい時代を読んで、ビジョンを打ち出して、法律に学者の論文には書いていないようなリアルな生活者の魂をぶち込んで、より良い社会システムを追求していくこと。そして、時代に即するようにそれを世の中に問い続けることではないのかなぁ〜と思った次第でした。それに、「何のための政治か?」ってことを見失っているし…。
先般、青学出身のとある一部上場の経営者の方が、「VCの顔色を見始めると大体ベンチャーはダメになる」という話をされていたと後輩から聞きました。全く、その通りだと思います。
ここ数年、企業経営においてステークホルダー(Stake-holder)を重要視する動きが台頭してきています。結局のところは、バランスの話だと思いますが、個人的には、真っ先に、配慮すべきは“お客様”と“社員”、そして、“地域社会”だと考えています。VCなどという存在に対する気遣いは一番最後。
にも関わらず、ダメになるベンチャー企業の多くは、VCの顔色を伺うことを無意識のうちに優先します。そのことに賛否両論があることは承知の上ですが、敢えて言えば、そのようなベンチャー企業は、歪(いびつ)なファイナンス(資金調達)を行っているか、身の丈にあっていない“虚業”を行っている証でしかない。本末転倒な話です。
と言いつつも、限られた民間経験の中で、資金面も含めてベンチャー育成に関わってみたい(=名実が伴ったベンチャー支援)という思いがあります。(ご参考 2007年01月24日「やってみたいこと」)
4月からインディペンデント・コントラクターとなり、ある種、自由な立場です。私の考え方に共感して、一緒に、仕事がしたいと思われた方は、お気軽に、ご連絡下さい。私が仕事をお受けするかどうかの基準は、「私自身が、ご依頼を受けたお仕事に社会大義があると感じるかどうか」、それだけです。
またしても、タイトルから大きく本文が逸脱してしまいましたが、数字しか見ることが出来ないVCの姿を垣間見ながら、5年前に書いた拙文を思い出しましたので、締めにご紹介させて頂きます。(20代のときの拙文なので恥ずかしくはありますが…(笑))
2002/12/29 (日)
『指標として出てくる数字だけで政策を考えているとリアルな生活とギャップが出てこないかという疑問』
昨今、政財界において、様々な指標を最優先するあまりに、国民の生活実態に即していない処方が安易に取られていることに警鐘を鳴らしたい。’97年のタイバーツの下落に端を発した金融危機以降、国際金融市場の対処を最優先した施策が重視され過ぎた結果、指標第一主義の経済政策に踊らされていたのではないだろうかという視点を提唱したい。
行財政改革は、生活者の安全、且つ、安心な生活を保証する上での利便性・効率性のために行うべきものであり、官公庁がマスコミや世論の批判をかわす為に行うべきものではない。又、不良債権処理を迅速に行うことには異論がないが、国際金融市場の評価というのは単なる事実の結果であり目的ではない。生活者の実感の伴わない指標による経済分析の結果の施策は、株価対策だけに邁進する存在意義を喪失した企業と同じである。
現在の財政政策は、本来、過程である不良債権処理の数字減らし自体を、目的と誤認していることに誤りがある。そのことに生活者の理解を求めるのは無理なのではないだろうか。そのために我われは、財政施策の目的が、日本が国際社会において信頼喪失すること、即ち、国家としての破綻を起こさないことが、全ての生活者の安全、且つ、安心な生活を保障することであることを正しく認識し喧伝しなければならない。
久しぶりに固めの文章を書こうと思ったら、書いてて不自然になってきたのでいつもの調子で。つまり、指標って此処の事象の集合体である訳で、数字に出てくる目に見える部分だけを見てると、現実にそぐわなくなるのは当り前なのかなぁ〜ってことです。元々、政治って、新しい時代を読んで、ビジョンを打ち出して、法律に学者の論文には書いていないようなリアルな生活者の魂をぶち込んで、より良い社会システムを追求していくこと。そして、時代に即するようにそれを世の中に問い続けることではないのかなぁ〜と思った次第でした。それに、「何のための政治か?」ってことを見失っているし…。































