「卒業生一人一人が、社会において、固定概念に捉われずクリエイティブに生きて欲しい」

 一年ぶりにOB&現役生が集まったゼミの懇親会のラストを、井口教授はこう締めくくった。懇親会には、現在、就職活動真っ最中の大学3年生も多く出席していたが、この言葉にリアリティーを持つ学生は少ないのではないだろうか。
 OB総会では、ほぼ毎年恒例で、ゼミ独自の就職ガイダンスが行われる。数年前の就職ガイダンスで、「縁あって内定をもらった会社の中から、自分に合う会社、楽しいと思える会社に行けばいい」、そして、「自分のやりたいことが見つかったら、転職するもよし、海外に行くのもよし。自分の人生を、今、決める必要は無い」という、新卒採用を目指す学生には不適切とも思える「転職を前提」とした就職の話をしたことがある。

 そして、今年は、持論に輪をかけて「どの会社が自分に合うかではなく、自分に合う会社をいつか作ればいい」、そのために、「一番、活用が出来る道を選べばいい」という、「起業を前提」にした就職という考え方を伝えた。

 おそらく、私の考え方は“暴論”と受け止められるかもしれない。まだまだ、日本社会においては、私のような考え方は一般的ではないようだ。時には、身勝手にさえ写ることさえある。

 しかし、本当にそうなのだろうか?

 私は、大学3〜4年生が“就職活動”を疑うことなく始めた瞬間、逆に、この国を面白くする可能性が消えているような気がしてならない。社会を経験したことが無い二十歳過ぎやそこらで人生を決定する事の方が土台無理だと考えるほうが自然だと思う。

 そのことを証明するのは簡単なことだ。

 ネット登録が当たり前となった昨今、おそらく、就職活動中の学生が毎日アクセスするであろう「就職サイト」。その中には、「いかに、就職することが重要であるか」を説明する言葉が並ぶ。

 しかし一方で、TVCMは勿論のこと、車内刷りや新聞広告、インターネットに溢れる「転職活動」の広告。「就職サイト」を運営する会社と同じ会社が、「転職すべし」と、何らためらうこともなく言い放つ。

 所詮、世の中、そんなものである。

 まぁ〜、「エントリーシートをどう書くべきか」ということにしか意識がいかなくなった学生には伝えようとは思わないが、そんなもんは、最低限のマナーさえクリアしていたら(=足切りにさえ合わなければ)、どうでもいい瑣末なことだと思う。面接なんてものは、等身大の自分を素直に表現すればそれでいい。背伸びをする必要など無い。

 しかし、実際には、「エントリーシート」と、然して、人生経験も無いリクルーターなる方々の成功体験とやらで、社会人のスタートが決定される。

 そのことは、“考える”という人間独自の自由を放棄し、“創造性”という無限の可能性を捨てることに他ならない。より端的に言えば、それが“不幸”の始まりではないかとさえ感じる。

 “恋すること”“人を愛すること”を論理的に説明できないのと同様に、“良い会社”なんてことも、全てを論理的に説明することなど出来る筈がない。寧ろ、大事なことは、与えられた情況を楽しむ余裕と幾ばくかの知的好奇心を持ち続け、いつの日にか、“自分のモノサシ(=価値感)”を持つことである。

 限られた人生を楽しむコツは、自分に合う何かを探すより、自分のモノサシを持つことの方が賢明だ。自分の後輩の中で、一人でも多くの人が、そのことに気付けば、世の中の幸せの体積が少し増えると思う。

 話が長くなったが、冒頭で紹介した井口教授のスピーチを聴きながら、つくづく、教え子であることを再認識した。

ご参考

2006年03月26日「青山から世界へ
2006年03月12日「至福のとき