私は、殊更に、“談合”を嫌います。嫌悪感を抱いていると言っても過言ではありません。中には、「そんなこと(=「談合=悪」)は当然では?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、敢えて、言及しなければならないほど、この国の“談合の病巣”には根深いものがあると受け止めています。また、“談合”とは言わないまでも、“予定調和”のようなものまで入れると、この国の官・民で行われている取引の大半が“談合”なのではないでしょうか。
 しかしながら、一口に“談合”と言っても、“許されるべき談合”と“許されざる談合”とに二分されると思います。端的に言えば、前者は、民間取引。後者は、公共取引(税金の使途と関連する「公(パブリック)」との取引)です。言うまでも無く、公共との取引は、何かしらの形で“税金”が投入されている以上、第三者の恣意的な意思、あるいは、個人的な思惑や感情が介在されることがあってはならないのです。

 当blogにおいても、折に触れ、談合について言及することがありますが、当然、公共取引(原資が税金である取引、または、税金が投入されている取引)について指摘をしています。先日も述べたように、この国の捜査当局の基本的な考え方が“一罰百戒”の論理である限り、根本的には、“談合”の病巣は根絶やしにならないのが現実です。

 ですから、捜査当局、並びに、監督官庁においては、“百罰百戒”の気概を持って、“談合の無い社会”に向けた力強い決意を示して頂きたいと思っています。

 それから、これは、あくまで個人的な“思い”ですが、政治の一つの側面に“利益再配分機能”がある以上、政治家は、こと税金の使い道に関しては、“李下に冠正さず”というの毅然とした姿勢で予算執行に取り組む必要があるのです。

 と同時に、財政赤字の現状を述べるまでもなく、少子高齢化社会において、更なる、負の遺産(ツケ)を積み重ねることなど出来る筈がない現状、そして、その一方で、公共サービスには、“質”“量”ともに相応の水準が求められる厳然たる状況があります。

 国・地方に関わらず「公」は、市場化テスト等、「官から民にシフトしていくための施策」を繰り返しながら、段階的に民間へ権限を委譲していく必要があります。その権限委譲を“お金”という視点で紐解いたとき、これからの“公”の礎を担うインフラやサービスに対して、新しい形の“お金”の考え方として“PFI”の手法が重要になってきます。

 詳細の説明は割愛しますが、“日本版PFI”が“オープンな談合”と揶揄される今日、真に、“公”を担う公共事業の考え方として、“PFI”を実効性のある制度として機能させるためには、「競争的対話(Competitive Dialouge)」という考え方を積極的に導入していくことが必要です。

 この“競争的対話”という手法は、やもすると、談合の温床になりやすい可能性を秘めているため、1.制度(談合を排除する仕組み)、2.運用(行き交う情報の全てがオープンに公開される透明性の確保)、そして、3.倫理観(談合は悪であるという認識)、4.経済合理性(談合すると損をする社会)を形成する必要があります。

 “競争的対話”の実現の一つの要素としても、今こそ、社会一丸となって、“談合”を徹底的に排除する強い意思を示すべき時だと考えます。