超ドメスティクキャリアの私が語るようなテーマではないものの、一つのパラダイムチェンジになればと思いとある記事をご紹介させて頂きます。

LE MONDE diplomatique不安定雇用にむしばまれる労働法制
 日本に限らず、先進各国において、“若者の雇用”というのが一つのテーマになっています。雇用に限らず、人口減、少子化など、先進国が抱える課題を紐解く切り口には様々な角度からの見方があります。

 とりわけ、フランスでは、仏政府の若者雇用促進策「初期雇用契約」(CPE)に端を発して、大きな議論となっています。各国の労働市場に関しては、労働を定義する労働関連法令等の相違、あるいは、今日の労働状況に至った歴史的背景など、数々の前提状況が異なるため、一概に論じることはできませんが、ご紹介した文章は、あまり国内では見かけない類の論調だと感じました。


 さて、ここから先は戯言です。大したことを書いてないのでスキップして頂いて結構です。

 金曜日、最終電車で帰宅したのが一時半。朝まで生テレビでは「格差社会」について議論していましたが、有識者の皆様方(?)は相変わらずのご様子。また、新聞の社説や政治家のHPなどにも同様のテーマが取り上げられています。しかし、独立直後のため、ある意味、当事者ど真ん中の私としては、総論・各論ともに解らなくはないものの実感がわかないというのが正直なところです。

 一方、地球単位での全体最適視点に立つならば、例えば、CO2排出/人という切り口で見れば、先進国の人口減現象は一概に否定することもできず、エネルギー消費地のシフト(中国・インドの台頭)にしても想定の範囲内とも言えます。

 話は変わりますが、昨夏の総選挙の象徴でもある岐阜にスポットを当ててみます。佐藤ゆかりさんはHPのなかで「第3次ベビーブームの実現へ」(文末参照)と熱く説いています。一方、野田聖子さんも「人口減社会に向いあう」と並々ならぬ意気込みを見せています。 

 個人的には、問題への危機意識、向うべき方向性など、両者の見解はさほど違わないと感じてしまいます。ある意味、少子化問題の当事者世代として、双方のご意見に共通するコンセプト“古き良き日本の我が家”を取り戻すという主張について所感を述べれば、これまたピンとこないのが本音。

 “流れに身をまかせ”過ぎる私が、ご批判を頂戴するところもありますが、本音で言えば、少子化対策は幻想だと思っています。同時に少子化の元凶(?)である私たち団塊jr世代(少なくとも私)は、一部のアカデミックスマートを除いては「バブルを知らない世代ってことは、意外と価値があることなのではないだろうか?」と思っていたりします。つまり、右肩上がり至上主義という呪縛が無い、現状を楽しむ&乗り切るという価値観を見出しているのかもしれない。

 少子化、NEET、人口減などの社会構造に焦点を当てた議論が盛り上がり、深みを増すほど、社会(環境)の変化に順応するという思考が輝きを増すとも言えるのではないだろうか。少し、ちょいLOHAS的過ぎますかね?