まずは、友人の一人であり、現在、浪人中の城井崇(民主党)君のHPの一文をご一読下さい。彼とは、問題認識を同じくする部分も多分にあるものの、政治におけるスタンス(彼は、民主党)、アウトプットされる考え方が大きく異なることもあります。冒頭でご紹介した一文「木も見る、森も見る」の中で述べている見解は、その極みのような気がします。
彼は、北九州に多くみられる疲弊した金型中小企業の原因を、1.大企業のコストカット(にともなう下請け泣かせ)、2.新型の工作機械の設備投資の遅れ、大きくこの二点に帰結していますが、この見方こそ、“木を見て森を見ず”の典型だと指摘したいと思います。
特に、活況を呈する自動車産業を引き合いに出していますが、前述の事実認識をしているならば、大きく事実を見誤っていると言っても過言ではないでしょう。そもそも、議論以前の問題として、金型単価の下落は、時流、マーケットの国際化の観点(及び需給バランス)から見れば当然の結果であり、同時に、全ての製造業は弛まぬコスト削減努力を行うことは、更なる国際競争力を培うことに他ならず、製造部品の価格維持という思考自体、製造業の現場を本質的に理解していない表象的な見方に過ぎないと感じます。
多少、前提条件は異なりますが、例えば、PCに入っているインテル社のCPU、確かに、この10年程度、ある程度の価格維持を保っています。しかし、少し考えれば、CPUのスペックが格段に進化を遂げており、単なる需給バランスに止まらない価格維持を担保する機能が付随されていることは明らかです。
北部九州に自動車産業が集積しているのは、自動車メーカーの対内外戦略上の理由です。確かに、部品のリードタイム、在庫リスク等を勘案すれば、工場周辺に部品在庫が集積している方がロジスティックの観点からも好ましいものの、部品工場の周辺立地は、必ずしも絶対条件とは言い切れない一面があります。要は、ジャストインタイムさえ保証されれば、技術力・価格競争力があれば、必ずしも、周辺立地である必要も無いのです。
少し話が逸れましたが、最先端の工作機械がないから競争力が無い、資金調達ができないから工作機械が導入できない、だから政府系金融機関が面倒を見るべきという論理展開は、些か、論理の飛躍であることも否めないと思います。端的に言えば、形を変えた“ばら撒き”です。必要なことは、本当に、融資(投資)すべき領域かどうかの見極めです。明らかに、中長期的な視点が欠如しています。
そもそも、経済の構造は絶えず変化し、同様に、価格もニーズも変化していきます。同時に、中小とは言え、変化に対応できない組織と事業構造を構築した経営責任も不可避であると考えます。往々にして、北九州の金型業界にしても、一昔前、わが世の春を謳歌した訳ですから、長い目でみれば帳尻は合っていると言えなくは無い。つまり、変化に対応できなかった領域に、安易に、特に政治主導で設備投資を促進することは、末期癌患者に過度の放射線治療を施しているようなもの。殊のほか不健全な状態と言えるのです。奇しくも、二ヶ月ほど前、工作機械について述べたblogで、既に、工作機械メーカーが海外を見ていることに触れました。このことが何を意味するのか、冷静に考えるべきではないでしょうか。
ただでさえ、金融機関の格付け上、融資不適格な企業に対して、一切の社内的な改善活動に着手することなく政府系金融機関が融資を行うとするならば、新たなる不良債権の種を蒔いているようなものだと思います。
おそらく、彼と私を比較すると、彼は弱者に労りの心を持つ優しい人、私は資本主義の経営側(強者)の論理を振りかざす冷たい人という評価を受けることでしょう。しかしながら、零細中小企業(事業)再生の現場、あるいは、飽くなきコスト削減に勤しむ製造業の現場を見てきた立場からすると、一見、厳しくもあるものの「淘汰されるべきは淘汰されるべし」という答えに導くことが、結果的には、優しさであることも往々にしてあることを指摘したいと思います。無責任な精神論、政治家のパフォーマンスで片付くほど、製造業の現場は生易しいものではありません。現実を、深く、じっくりと直視すべきです。
特に、活況を呈する自動車産業を引き合いに出していますが、前述の事実認識をしているならば、大きく事実を見誤っていると言っても過言ではないでしょう。そもそも、議論以前の問題として、金型単価の下落は、時流、マーケットの国際化の観点(及び需給バランス)から見れば当然の結果であり、同時に、全ての製造業は弛まぬコスト削減努力を行うことは、更なる国際競争力を培うことに他ならず、製造部品の価格維持という思考自体、製造業の現場を本質的に理解していない表象的な見方に過ぎないと感じます。
多少、前提条件は異なりますが、例えば、PCに入っているインテル社のCPU、確かに、この10年程度、ある程度の価格維持を保っています。しかし、少し考えれば、CPUのスペックが格段に進化を遂げており、単なる需給バランスに止まらない価格維持を担保する機能が付随されていることは明らかです。
北部九州に自動車産業が集積しているのは、自動車メーカーの対内外戦略上の理由です。確かに、部品のリードタイム、在庫リスク等を勘案すれば、工場周辺に部品在庫が集積している方がロジスティックの観点からも好ましいものの、部品工場の周辺立地は、必ずしも絶対条件とは言い切れない一面があります。要は、ジャストインタイムさえ保証されれば、技術力・価格競争力があれば、必ずしも、周辺立地である必要も無いのです。
少し話が逸れましたが、最先端の工作機械がないから競争力が無い、資金調達ができないから工作機械が導入できない、だから政府系金融機関が面倒を見るべきという論理展開は、些か、論理の飛躍であることも否めないと思います。端的に言えば、形を変えた“ばら撒き”です。必要なことは、本当に、融資(投資)すべき領域かどうかの見極めです。明らかに、中長期的な視点が欠如しています。
そもそも、経済の構造は絶えず変化し、同様に、価格もニーズも変化していきます。同時に、中小とは言え、変化に対応できない組織と事業構造を構築した経営責任も不可避であると考えます。往々にして、北九州の金型業界にしても、一昔前、わが世の春を謳歌した訳ですから、長い目でみれば帳尻は合っていると言えなくは無い。つまり、変化に対応できなかった領域に、安易に、特に政治主導で設備投資を促進することは、末期癌患者に過度の放射線治療を施しているようなもの。殊のほか不健全な状態と言えるのです。奇しくも、二ヶ月ほど前、工作機械について述べたblogで、既に、工作機械メーカーが海外を見ていることに触れました。このことが何を意味するのか、冷静に考えるべきではないでしょうか。
ただでさえ、金融機関の格付け上、融資不適格な企業に対して、一切の社内的な改善活動に着手することなく政府系金融機関が融資を行うとするならば、新たなる不良債権の種を蒔いているようなものだと思います。
おそらく、彼と私を比較すると、彼は弱者に労りの心を持つ優しい人、私は資本主義の経営側(強者)の論理を振りかざす冷たい人という評価を受けることでしょう。しかしながら、零細中小企業(事業)再生の現場、あるいは、飽くなきコスト削減に勤しむ製造業の現場を見てきた立場からすると、一見、厳しくもあるものの「淘汰されるべきは淘汰されるべし」という答えに導くことが、結果的には、優しさであることも往々にしてあることを指摘したいと思います。無責任な精神論、政治家のパフォーマンスで片付くほど、製造業の現場は生易しいものではありません。現実を、深く、じっくりと直視すべきです。




























