livedoor NEWSで次のようなしんぶん赤旗の記事『安全脅かす規制緩和』を発見しました。私は、このような考え方に違和感を覚えますし、「規制緩和が安全を脅かす」という考え方は詭弁だと考えます。
詳細は割愛しますが、大学時代、正式なタイトルは忘れましたが、運輸行政における規制緩和の重要性を説くために、当時、トラック業界のホットなトピックスであった物流二法(「貨物自動車運送事業法」・「貨物運送取扱事業法」)の規制緩和についての考察を書いたことがあります。
学生のレポートの域を出ない稚拙なものではありましたが、その文末に、「(社会的規制上、最低限のものは除いて)真の安全性は行政が制約するものではなく、民間の自意識向上によってしか成し得ない。ましてや、経済的規制により制約することは筋違いである」という主旨の一文を書いたことを思い出します。尚且つ、その結果として、「過度の(経済的)規制の乱用は、そもそも、民間事業主体の安全性に配慮するインセンティブ自体を損なわせる」と帰結しました。(※当時、運輸省の見解では、参入規制等を安全要件を満たすための社会的規制と述べていた。)
確かに、運輸行政における「安全性」にいては、JR西日本の例を挙げるまでも無く、生命と直結する深刻な問題です。最近の例では、JALの業績悪化からも見て取れるように、安直なコストカットは、事業者が安全面への注意を払う担保にならないことも明らかです。
さりながら、ここが考え方のベクトルが異なってくる別れ道ですが、だから規制強化するのか、はたまた、規制緩和の結果として安全性配慮へのインセンティブを培っていくのか。個人的には、資本主義社会において選ぶべき選択肢は、後者ではないかと思います。
大雑把に、規制緩和には、規制緩和⇒乱立(大量参入)⇒淘汰(離合集散)⇒サービス向上という複数のステップがあると思いますので、前述のJALのような状況から、効率化(含む、コストカット)と安全面配慮の適正化(バランス)がはかられてくるのではないでしょうか。ですから、運輸行政の運用面には、生命に関わるデリケートな点があるとしても、過渡期の現象だけを捉えて、規制緩和=安全面無視と捉えるのは、あまりに浅はかな見解だと考えます。
話は変わりますが、とある業界が淘汰のフェイズにある時、共産主義・社会主義的な考え方をする人と、俗に言う「官の論理」とが、結果として、似通ってくるのは面白い現象ですね。やはり、郵政民営化同様、悪しき聖域(?)の一つのベンチマークなのかもしれません。
学生のレポートの域を出ない稚拙なものではありましたが、その文末に、「(社会的規制上、最低限のものは除いて)真の安全性は行政が制約するものではなく、民間の自意識向上によってしか成し得ない。ましてや、経済的規制により制約することは筋違いである」という主旨の一文を書いたことを思い出します。尚且つ、その結果として、「過度の(経済的)規制の乱用は、そもそも、民間事業主体の安全性に配慮するインセンティブ自体を損なわせる」と帰結しました。(※当時、運輸省の見解では、参入規制等を安全要件を満たすための社会的規制と述べていた。)
確かに、運輸行政における「安全性」にいては、JR西日本の例を挙げるまでも無く、生命と直結する深刻な問題です。最近の例では、JALの業績悪化からも見て取れるように、安直なコストカットは、事業者が安全面への注意を払う担保にならないことも明らかです。
さりながら、ここが考え方のベクトルが異なってくる別れ道ですが、だから規制強化するのか、はたまた、規制緩和の結果として安全性配慮へのインセンティブを培っていくのか。個人的には、資本主義社会において選ぶべき選択肢は、後者ではないかと思います。
大雑把に、規制緩和には、規制緩和⇒乱立(大量参入)⇒淘汰(離合集散)⇒サービス向上という複数のステップがあると思いますので、前述のJALのような状況から、効率化(含む、コストカット)と安全面配慮の適正化(バランス)がはかられてくるのではないでしょうか。ですから、運輸行政の運用面には、生命に関わるデリケートな点があるとしても、過渡期の現象だけを捉えて、規制緩和=安全面無視と捉えるのは、あまりに浅はかな見解だと考えます。
話は変わりますが、とある業界が淘汰のフェイズにある時、共産主義・社会主義的な考え方をする人と、俗に言う「官の論理」とが、結果として、似通ってくるのは面白い現象ですね。やはり、郵政民営化同様、悪しき聖域(?)の一つのベンチマークなのかもしれません。





























