5fdac0c6.jpg 久留米広域合併協議会の議案が可決された。いよいよ新しい久留米へと歩み出す第一歩。同様に、今全国では、合併特例法の期限を前に、各自治体の合併に向けた動きが佳境に入っている。この平成の大合併の動きは、カネがないという動機付けが切っ掛けではあるが、中央官庁が地方を補助金で支配する現制度の事実上の崩壊である。

 しかし、地方分主権に向けた現実の動きは、あまりに小さくそのスピードが遅い。権限を委譲するならば、よりダイナミックに、且つ、迅速に権限の移譲を行うべきである。さりながら、権限を委譲する側の中央官庁は、「地方自治体、並びに、地方の政治家は、カネを渡すとろくなことをしない」との理由から、権限を委譲される側の地方自治体の未成熟を問題として危惧する。

 確かに、我が国の歴史を振り返ると、常に、何らかの権限をめぐる議論は「無知な国民は間違える」という性悪説に基づいている。例えば、参政権の議論など、その最たるものではないだろあうか。衆愚政治の危険が声高に叫ばれ、一般大衆に権限を付与することを頑なに拒んできた。

 しかし、私たちの先人たちは、権限の受け手が必ずしも十分な知識も経験もなく、成熟されているとは言えていない状況下ですら、国民の英知を信頼し、敢えて、数々の権限の移譲に踏み切ってきた。先達の英断を省みた時、試行錯誤を繰り返しながらも、100年前に抱えていたような国際社会の緊張は大幅に緩和し、今日の成長がある。無論、成長に伴う弊害も顕在化してきているが、総和としては良い方向に向かっている。

izutuya 地方主権が実現した時、あるいは、地方主権に至るプロセスにおいて、中央官庁に依存した地方自治体は、中央官庁において繰り返されてきた様々な問題を引き起こすだろう。しかしながら、そのことは過渡期の一現象に過ぎず、臆することなく地方に権限を委譲する歩みを続けていくべきである。そのプロセスにおける試行錯誤こそが地方自治体の成熟であり、自己責任のもとに、自立した個人による社会形成が成しえていく。

 地方主権への道は、第三の自由・民主改革である。そして、その成功は自治体の試行錯誤の連続にこそある。失政の理由を自己に求めてこそ、社会や人は真の意味で自立する。