総選挙において、民主党は政権交代の旗をかかげ一気に政権奪取による改革を目指し、自民党は小泉純一郎という錦の御旗を立てドラスッティクな改革を求めた。私は、劇的な変化を求めたいずれの改革も、本来政治があるべき姿、菅直人氏の言葉を借りれば「最小不幸社会」の本質とはかけ離れたものではないかという疑念を抱いております。

 19歳の頃から約9年間、加藤紘一という政治家のもとで、日本という国が動くシステムと、その問題点を如実に垣間見て参りました。その加藤氏が、同氏の師である故大平正芳元総理から受けた薫陶の一つとして、「大国を治むるは小鮮を烹るがごとし」という老子の言葉があります。

 私も、同じく、政治というものは、鍋で小魚を煮るように、形を壊さないようコツコツと丁寧に行っていくものであるという意味のその言葉を何度も教えられたものでした。

 今、確かにこの日本という国は、出口の見えない袋小路に差し掛かっています。しかし、目の前に広がる地方の窮状を看過したところで、また、現実から逃げ出したところで、この国とふるさとの行く末に「希望」という出口が見えて来る訳ではありません。

 この国の景気を良くすることも、年金などの将来の不安を取り除くことも、一気に現状を打開する「秘策」などある訳がない。決して、テレビで一晩のうちにヒーローが作り上げられるように、簡単に成し得ることではないのです。

 須く、政治というのは、確固たる信念に基づいて、地道に民に説法を行うがごとく、地道な政策の積み重ねと、民意の自立を促す啓蒙活動の連続により成し得るものであると考えます。

 私は、例え時間がかかろうとも、刹那的なムードに流されることなく、この日本とふるさとの将来のためにどうあるべきか、次の世代に何を伝えるべきかという問いに、小鮮を烹るがごとく、一つ一つ、愚直に取組んでいきたい。これが、私の政治信念たる保守本流という考え方だと信じております。

 訴えることが出来ない総選挙が終わった今、「小鮮を烹るがごとし」、この言葉を胸に、政治に取組んで参ります。