当blogビューアーという極めて限定的な対象で言えば、本日当blogをご覧頂いたほとんどの方が、マイクロソフト社(MS)のIE6(インターネットエクスプロラー・バージョン6)をお使いのようです。具体的には、MSIE6(99.38%) ・MSIE7(0.62%) という状況です。以前から、MS社のIEでご覧になる方が多かったのは事実ですが、マーケットシェアは凄いと思います。続きを読む
再上京してから、多くのエコノミスト・アナリスト・研究員・調査員の人たちとお会いしました。往々にして、データを元にした分析力には納得させられることが多いものの、時折、私自身が肌感で受け止めたこととズレを感じることがあります。無論、私自身、さまざまな分析・調査などを行う際、各種の経済指標・経営指標に基づくのは勿論のことながら、最終的には、私自身の感性や嗅覚みたいなものを大事にするようにしています。続きを読む
livedoor blogユーザーとしてお願いです。上場廃止になろうがなるまいが知ったことではない話です。さりながら、様々な機能を追加するのも結構なことだけれども、慢性的に管理ページが重たくなる状況を改善して下さい。
御社のblogサービスは、気が利いたところも多くあります。この状況を改善することが喫緊の課題だと思います。時期が時期だけにこのようなことが大事なのではないでしょうか?
ご参考 livedoor Blog 開発日誌「ネットワーク、バックボーンの増強作業につきまして」
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私のキャラからすると唐突なタイトルですよね?別に、イッちゃった訳ではないのでご心配なく。続きを読む
blogを更新しようと思ってたら、こんな時間(三時半過ぎ)になってしまいました。今から寝ます。折角、アクセスして頂いたのに申し訳ございません。
ちなみに、こんな時間なのにシラフです。最近は、禁酒してもいないのにアルコールから遠ざかっています。昨年とは、別人のようです。
さて、明朝は、歯科に通院後、名古屋に移動。新幹線の中で更新しますので、夕方、もう一回、アクセスしてみて下さい。
ちなみに、こんな時間なのにシラフです。最近は、禁酒してもいないのにアルコールから遠ざかっています。昨年とは、別人のようです。
さて、明朝は、歯科に通院後、名古屋に移動。新幹線の中で更新しますので、夕方、もう一回、アクセスしてみて下さい。
いよいよ総選挙も最終日を迎えました。いざ、終盤戦になると、瞬くように過ぎた12日間だったと思います。
さて、投票日を明日に控え、改めて、3つのことを皆さんにお願いさせて頂きます。
一つは、今回の総選挙、皆さん独自の視点や争点で、必ず、何らかの政策議論に基づいて投票行動を行って頂きたい、そのためにも、各党マニフェストには、必ず、目を通して頂きたいということ。
次に、その上で、どのような選択をなされる場合でも、白紙投票も含めて、棄権をしないで頂きたい。必ず、投票に行って頂きたいということ。
そして、総選挙に限らず、自分達に直結する問題だけではなく、その一例として、ホワイトバンドキャンペーンにご理解賜り、世界中の貧困に目を向けて頂きたい、他の誰かを思いやる優しさを持って頂きたいということ。
以上、のぶ☆よしたかの3つのお願いです。
さて、投票日を明日に控え、改めて、3つのことを皆さんにお願いさせて頂きます。
一つは、今回の総選挙、皆さん独自の視点や争点で、必ず、何らかの政策議論に基づいて投票行動を行って頂きたい、そのためにも、各党マニフェストには、必ず、目を通して頂きたいということ。
次に、その上で、どのような選択をなされる場合でも、白紙投票も含めて、棄権をしないで頂きたい。必ず、投票に行って頂きたいということ。
そして、総選挙に限らず、自分達に直結する問題だけではなく、その一例として、ホワイトバンドキャンペーンにご理解賜り、世界中の貧困に目を向けて頂きたい、他の誰かを思いやる優しさを持って頂きたいということ。
以上、のぶ☆よしたかの3つのお願いです。


政治という世界に身をおいて約10年。昨年から、民間企業に身を置きつつも、絶えず、頭の中では、国のあるべき姿、政治のあるべき姿を追い求めています。店内にこだまする笑い声を聞きながら、ふと、政治って、日常の生活においては、国や社会のことを無意識にするためにあるのではと感じたりもします。全ての国民が政治に抑圧的に関心がある社会、あるいは、全ての国民が政治に恣意的に関心がない社会、そのいずれの社会も不健全。続きを読む


また、二年間地元に暮らし、日々、地方を行脚する中で、あるいは、霞ヶ関・永田町の関係者と議論する中で、改めて、地方自治について考えております。今年は、平成の大合併の年。議員歳費や合併特例法の一時的な問題点もさりながら、それら諸問題を解決していくにあたり、意思決定の基準や理念が欠落しているように思います。この一年は、自分なりに地方自治を考え直す年にしていきたいと思っております。本年も、可能な限り、blogを更新して参りますので、末永くご愛顧賜りたくお願い申し上げます。
私は政治活動にあたり次の4つの「責任」を果たします。
1.私が政治理念および政策を主張すべき全ての有権者に対する責任。
2.私が政治活動を行うにあたり、共に働く全てのスタッフに対する責任。
3.私が産まれ暮らす地域社会、更には全世界の共同社会に対する責任。
4.次世代を担う参政権を持たない子どもたちに対する責任。続きを読む




日本政策投資銀行(DBJ)系の上場投資ファンドが買収した会社のPMI(Post Merger lntegration)の経営者に就任。SPAのEC・製造卸の立場を経験。物流事業者から避けられがちな嵩モノの物流を荷主の立場で見ることにより多くの気づきを得る。2021年9月、長年の付き合いの河野太郎氏の総裁選出馬を受け、取締役及び代表取締役を辞任。退路を断って総裁選を友情支援(約一カ月、永田町で過ごす)。総裁選後、帰阪。PMI経営者就任前のフリーランスに戻り、ゼロからの出直し奮闘中。現在、関西在住。


【現在の肩書】
・株式会社ロジラテジー/代表取締役
・MDCC(Malaysia Digital Chamber of Commerce)/アドバイザー
・外部M&Aファーム/シニアプリンシパル
・複数の投資会社のアドバイザー
・一般社団法人日本スポーツチア&ダンス連盟(通称:チアジャヤパン)/審議役
[その他(過去に関係した仕事など)]
過去に、BS経済番組「賢者の選択」(ご参考 「賢者.tv」(日本最大級の社長動画・Q&Aサイト))・ラジオNIKKEI「木村剛のイノベーションパワー」プロデュース&ファシリテーター。家具製造卸の「株式会社 宮武製作所・専務取締役」、同子会社で家具EC(ネット通販)の「株式会社エア・リゾーム・代表取締役」(*左記2社は投資ファンド買収案件のPMI経営者)。
また、役者として、2014年3月、TBS系列『隠蔽捜査』に杉本哲太氏演じる主役の部下の刑事役で出演(第9回・10回放送分)。2015年7月、テレビ朝日系列『民王』に記者役で遠藤憲一氏と共演。
[執筆など] ※リンク先は全て「pdfファイル」です
物流関連
「マネジメントスクエア(千葉銀総合研究所・機関誌)」(2008年8月号)
〜【物流業界編】将来の激変を予見させる新しい動き〜
「日雇派遣の原則禁止を問う」(2008年6月23日〜7月10日に連載)
「日雇派遣体験記」(2008年8月25日〜31日に連載)
「派遣ユニオン書記長との緊急対談」(2008年9月1日〜8日に掲載)
「労働者派遣法改正に欠けている視点」 (2009年10月6日〜2010年2月20日に連載)
「人ありて物流 −人に起点を置かない物流企業に、永続的な繁栄なし−」(2009年10月2日)
「物流業の営業を気まぐれに科学する」(2009年1月15日〜2月16日)
行政など
「福岡市立こども病院・移転問題 議論の正常化を願って」(2011年2月21日〜3月2日)
メディア出演
ワールドビジネスサテライト(テレビ東京) 失業者を救えるか(2009年11月30日)
TBS系 ミステリーシアター「隠蔽捜査」第10話に、杉本哲太さん演じる捜査員役で出演(2014年3月17日放送分)
テレビ朝日系列『民王』第2話に、遠藤憲一さん総理に質問する記者役で共演(2015年7月)
[プライベートなこと]
チャームポイントはホクロ。強気で甘えん坊な九州男児。好きな女性のタイプは、「内田有紀」「黒木瞳」「和久田麻由子(NHKアナウンサー)」「堤礼実(フジテレビアナウンサー)」と書くものの、結局、「ナウシカ」なのでは?と思う今日この頃。好きな俳優「トニー・レオン」。目指す俳優、「遠藤憲一」。好きな映画「恋する惑星」「天使の涙」「ブエノスアイレス」「花様年華」「インファナル・アフェア」。好きな食べ物「カルボナーラ」「塩サバ」「ブリの刺身」。好きなテレビ番組、「世界さまぁ〜リゾート」「憧れの地に家を買おう」「全力!脱力タイムズ」。「「好きな場所、「本牧の港湾エリア」「ランカウイ」「コロンボ」「ここ最近、年に一回、Dennisと行く男二人旅のマラッカ」。嫌いな場所「TOKYO」。
[連絡先]
・会社ホームページの「contact us」からお願いします
延嘉隆の職務経歴書はコチラをクリックして下さい♪
※2022年8月30日に加筆・修正。
※プロフィールは、適時、更新しております。blogの日付と本文の年月が一致しないことがございます。
20代最後のクリスマスイブを無機質な警察署のロビーで迎えた。聖なる夜のディナーは、コンビニで買ったクリームパンと鮭おにぎり。乾いた喉を、自販機の80円の紙コップのコーヒーで潤す。続きを読む
通常、社会人の自己紹介は、ビジネスキャリアについての経歴を意味しますので、順を追ってご紹介させて頂きます。"労働"という観点で語ると、人生で最初の労働は、中学2~3年生の頃だったと思います。当時、ろくに学校にも行かず、地元にある電子機器メーカーの工場で、流行っていたゲーム機器の基盤に部品をはめ込む製造ラインの仕事をしました。その仕事では、テスターを使って、電流や電圧などをチェックする検品作業を覚えたり、後には、製造物を搬出する業務にシフトが変わりました。
次の仕事は、高校に入ってからはじめた工事現場の仕事です。この仕事では、色んな現場に行く機会がありました。橋梁工事、国道の補修工事、建築現場の仕事、造園の仕事...。この仕事では、肉体労働で汗をかいた後の昼飯が美味いことや、コンクリートの動詞が"うつ"であること、バイブロプレート(小型転圧機)で道路を舗装する経験もさせて頂きました。時には、宅地開発にともない、等高線を見ながら、山を切り崩して出た土砂の量を算出して、運搬するダンプを手配するという貴重な経験もさせて頂きました。この頃入った現場で、最も、印象に残っているのは、日雇いの現場で入ったブリヂストンの工場の地下タンクの解体の現場です。仕事の帰りに、一緒に働いた労働者の方が、車のなかで、「これで、娘に学校の上履きを買ってあげられる・・・」と呟いていた情景を強烈に覚えています。その他にも、イベントの会場設営、弁当工場の深夜のアルバイト、真夜中の違法なポスター貼り、まぁ~、色んなことをしていました。
その後、高校二年生の初秋、原チャリで事故を起こし怪我。ちなみに、前歯は指歯、今でも、私の顔が少し赤かったり、薄っすらと傷があるのは、この時、顔の皮が大体、はがれてフランケンシュタインみたいになったからです。当時の偏差値は29。一応、新学校だったので校内偏差値はもう少し低くなります。5教科800点満点の模試の合計点は60点。記号回答で全部同じ記号を選ぶと、だいたい、これくらいの点数になります。勿論、学校からは、「自主退学をしてくれ」と言われてました。
事故を契機に、「これ以上、親に迷惑をかけられない...」と思い始め、勉強をし始めました。一浪をするものの、どうにか大学に入り無事に卒業。運輸省港湾局出身の井口典夫教授のゼミで、“物流二法”。平ていに言えば、トラック業界の規制緩和について研究していました。
この頃、私が影響を受けた本は、小沢一郎氏の「日本改造計画」と、P.F.ドラッカーの「ポスト資本主義社会」。後に、政治業界に進むこととなりますが、実は、興味を抱いていたのは後者。今でも、社会学的経営学というモノの見方が、私のモノの見方の根底にあるように思います。
大学に入り、当時、YKKとして頭角を現していた加藤紘一議員の(今で言う)インターンのようなことをはじめ、大学2年の頃から、青山の自宅マンションに書生として住み込むこととなりました。ちなみに、加藤紘一議員を紹介したのは、同じ地元の古賀誠議員、物流業界的に言うならば、元運輸大臣、トラック議員連盟会長といったところでしょうか。私自身、既に、永田町を離れて7年が経ちますが、今でも、当時、ご一緒させて頂いた政治家の方々や、財界の方々、学識経験者の方々、評論家の方々などからご連絡を頂戴します。本当に、有難い限りです。
秘書時代は、本当に、色々な経験をさせて頂きました。政府与党会議に臨席、総理官邸に同行、海外要人との会談、財界との会談に同席、派閥議員の選挙での地方滞在、土日は、幹事長に随行して日本全国を廻る日々...。まさに、当時は、この国の権力の中枢で、日本の意思決定の現場を体現することができました。ちなみに、秘書時代にお会いした印象に残っている3賢人は全員女性。一人は、李香蘭こと山口淑子先生、もう一人は、作家の塩野七生先生、もう一名は、知る人ぞ知る辻トシ子先生です。
後に、〝加藤の乱”で権力の座から落ちるプロセス、全国をお詫び行脚する日々、あるいは、“東京地検特捜部の捜査にともなう特捜部通い”など、政治業界にいても経験できない稀な経験をさせて頂けたと思います。かなり、精神的にしんどくて、自身の弱さを痛感したのもこの時期でした・・・。
加藤議員の議員辞職にともない、当時、自民党幹事長だった山崎拓議員の事務所に転籍。ここでは、自ら希望して、地元の秘書をさせて頂くことに。それにともない、学生時代から住んでいた東京を離れて福岡に帰郷。山崎議員の秘書になってから、自身のチャレンジを思い立つようになり辞職。たまたま、辞職したその晩、地元の議員の先生が亡くなり、時を経ずして、落下傘候補に対する地元候補として、地元の経済人の皆様に担がれることに。急遽、衆議院議員の補欠選挙に出馬することになり、結果、落選。ここまでは、想定していたのですが、陣営スタッフの選挙違反が指摘され、最年少で、"連座制"の適用を受けることに。正直、これは、想定の範囲外でした。ちなみに、私の名前がwikiに出てくるキーワードは「連座制」。国政選挙レベルでは、未だに、連座制適用最年少記録を守っている(?)ようで、不甲斐無く思います。2002年は、年に二度も、検察庁から呼び出しを受けるという、人生で、二度と経験したくないようなハードな一年でした。余談ながら、現在、ビジネスで苦労を苦労と感じないのも、この時以下の状況はないとプラスに思えるからです。
当初は、地元にいて、何かしらの選挙を目指そうと考えていましたが、一部に、「民間経験が無い」といったご指摘もあったので、たまたま、中学校の同級生が送ってきた手紙に、「このコンサルティング会社、税金のこと詳しいみたいだよ」というメッセージとともに同封されていた求人広告を見て応募。翌週、上京して、会社説明会に出て面接を受けて入社。この会社では、全国の会計事務所を廻る仕事や、不動産の証券化、あるいは、組成したベンチャーファンドに関することなど、主に、会計や金融の視点を培う勉強をさせて頂きました。民間の厳しさを叩きこまれたのは、北信越地区の著名な税理士の先生のもとを赴いた時に、泣きたくなるくらいボコボコにされたことです。真冬でしたが、帰りは、コートを着る気力もなく、寒さも感じないほどでした。これ以降、物凄く、勉強をするようになりました。無論、出張にかこつけて、さぼったりもしていましたが・・・。(笑)
次に、入社したのが、SCM改革や業務改革を手がける独立系のコンサルティング会社。この会社に入ったのは、“SCM”という聞き慣れない言葉に興味を抱いたからです。在籍期間こそ短かったものの、この会社で見聞きしたことはとても勉強になりました。毎週のように、大手メーカーに赴いたり、工場に赴いたり...。決して、ロジスティクス領域に強い会社では無かったのですが、コンサルティング会社としての基礎、姿勢、課題解決の思考を学ばせて頂いたように思います。
この頃、たまたま手にした福澤諭吉の「学問のススメ」に"独立の気力"という一節を見つけ、そりゃそうだな~と安易に思い独立を決心。その一節とは、「独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。(中略)独立の気力なき者は、必ず、人に頼る。頼る者は人を恐れ、恐れる者は人に諂(へつら)う。(中略)愛国の意がある者は、官私を問わず、先ずは、自己の独立を成し遂げるべし。余力あらば、他人の独立を助け成すべし。」というもの。翌日、辞表を出したとき、仕事の充ては何もないという、短絡的な思いつきの行動でした。
その後、経営者を取り上げる番組の仕事をご紹介頂いたり、IT関連企業の会長を務められた方のオフィスから、ネットベンチャーの立ち上げの仕事をご紹介頂くことになります。当時、複数の会社の仕事を手がけていましたが、キーワードは、"ベンチャー"と"マーケティング"。秘密保持の関係上、社名こそ書けませんが、この頃、著名な企業の仕事を複数手掛けさせて頂いたことは、企業における"マーケティング"の重要性を認識する上で貴重な経験でした。この頃から、コンサルタントというよりも、"一介の営業マン"として歩もうと思い始めるようになりました。
奏功するうちに、「ロジラボ通信」の運営を開始、08年春に法人化、同年12月、物流・ロジスティクス・SCM領域に特化したコンサルティング会社を設立しました。自社内で、「物流コンサル・現場コンサル」機能を有しているので、物流コンサル会社と解される要素はありますが、ロジラテジーにとっての主戦場はその部分ではないと考えていますし、部分最適化のご相談は、極力、お断りしています。自社で関わる事案、自社のコアバリューは、企業経営そのものであって、一般的な物流コンサルティング会社と混同されないように、業務の一部を代行する、あるいは、生産性調査を生業にする、はたまた、元請で入ってピン撥ねすることを忌み嫌っています。
率直に申し上げると、ロジラテジーのキラーコンテンツは、何よりも、戦略。戦略ありきというのが全ての基本です。そして、業務レベルで申し上げれば、次の二つの点を手がけていきたいと考えています。第一に、荷主企業のSCM戦略構築(SCM・ロジスティクス改革)、次に、物流企業の経営戦略。これらを実現するための、財務戦略的アプローチ、マーケティング戦略的アプローチとロジスティクスコンサルティングの融合。掻い摘んだ説明で恐縮ですが、私のキャリアからお察し頂きたいのですが、企業の経営戦略を実現するための“財務戦略”と“マーケティング戦略”という二つのアプローチを重要視している点がコアコンピタンスなのです。将来的には、私なりの(物流業界ではあまり積極的に活用されていない)"金融"の視点、そして、“IT”により規模の経済性の視点を取りこみ、物流業界のエキスパートとともに、物流業界の“異端児”として勝負していきたいと考えています。
また、ベンチャー経験を活かし、物流ビジネスプロデューサーとして、独自の価値観を創造していきたいと日々奔走しています。
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※2011年1月16日に加筆・修正。
※プロフィールは、適時、更新しております。blogの日付と本文の年月が一致しないことがございます。
次の仕事は、高校に入ってからはじめた工事現場の仕事です。この仕事では、色んな現場に行く機会がありました。橋梁工事、国道の補修工事、建築現場の仕事、造園の仕事...。この仕事では、肉体労働で汗をかいた後の昼飯が美味いことや、コンクリートの動詞が"うつ"であること、バイブロプレート(小型転圧機)で道路を舗装する経験もさせて頂きました。時には、宅地開発にともない、等高線を見ながら、山を切り崩して出た土砂の量を算出して、運搬するダンプを手配するという貴重な経験もさせて頂きました。この頃入った現場で、最も、印象に残っているのは、日雇いの現場で入ったブリヂストンの工場の地下タンクの解体の現場です。仕事の帰りに、一緒に働いた労働者の方が、車のなかで、「これで、娘に学校の上履きを買ってあげられる・・・」と呟いていた情景を強烈に覚えています。その他にも、イベントの会場設営、弁当工場の深夜のアルバイト、真夜中の違法なポスター貼り、まぁ~、色んなことをしていました。
その後、高校二年生の初秋、原チャリで事故を起こし怪我。ちなみに、前歯は指歯、今でも、私の顔が少し赤かったり、薄っすらと傷があるのは、この時、顔の皮が大体、はがれてフランケンシュタインみたいになったからです。当時の偏差値は29。一応、新学校だったので校内偏差値はもう少し低くなります。5教科800点満点の模試の合計点は60点。記号回答で全部同じ記号を選ぶと、だいたい、これくらいの点数になります。勿論、学校からは、「自主退学をしてくれ」と言われてました。
事故を契機に、「これ以上、親に迷惑をかけられない...」と思い始め、勉強をし始めました。一浪をするものの、どうにか大学に入り無事に卒業。運輸省港湾局出身の井口典夫教授のゼミで、“物流二法”。平ていに言えば、トラック業界の規制緩和について研究していました。
この頃、私が影響を受けた本は、小沢一郎氏の「日本改造計画」と、P.F.ドラッカーの「ポスト資本主義社会」。後に、政治業界に進むこととなりますが、実は、興味を抱いていたのは後者。今でも、社会学的経営学というモノの見方が、私のモノの見方の根底にあるように思います。
大学に入り、当時、YKKとして頭角を現していた加藤紘一議員の(今で言う)インターンのようなことをはじめ、大学2年の頃から、青山の自宅マンションに書生として住み込むこととなりました。ちなみに、加藤紘一議員を紹介したのは、同じ地元の古賀誠議員、物流業界的に言うならば、元運輸大臣、トラック議員連盟会長といったところでしょうか。私自身、既に、永田町を離れて7年が経ちますが、今でも、当時、ご一緒させて頂いた政治家の方々や、財界の方々、学識経験者の方々、評論家の方々などからご連絡を頂戴します。本当に、有難い限りです。
秘書時代は、本当に、色々な経験をさせて頂きました。政府与党会議に臨席、総理官邸に同行、海外要人との会談、財界との会談に同席、派閥議員の選挙での地方滞在、土日は、幹事長に随行して日本全国を廻る日々...。まさに、当時は、この国の権力の中枢で、日本の意思決定の現場を体現することができました。ちなみに、秘書時代にお会いした印象に残っている3賢人は全員女性。一人は、李香蘭こと山口淑子先生、もう一人は、作家の塩野七生先生、もう一名は、知る人ぞ知る辻トシ子先生です。
後に、〝加藤の乱”で権力の座から落ちるプロセス、全国をお詫び行脚する日々、あるいは、“東京地検特捜部の捜査にともなう特捜部通い”など、政治業界にいても経験できない稀な経験をさせて頂けたと思います。かなり、精神的にしんどくて、自身の弱さを痛感したのもこの時期でした・・・。
加藤議員の議員辞職にともない、当時、自民党幹事長だった山崎拓議員の事務所に転籍。ここでは、自ら希望して、地元の秘書をさせて頂くことに。それにともない、学生時代から住んでいた東京を離れて福岡に帰郷。山崎議員の秘書になってから、自身のチャレンジを思い立つようになり辞職。たまたま、辞職したその晩、地元の議員の先生が亡くなり、時を経ずして、落下傘候補に対する地元候補として、地元の経済人の皆様に担がれることに。急遽、衆議院議員の補欠選挙に出馬することになり、結果、落選。ここまでは、想定していたのですが、陣営スタッフの選挙違反が指摘され、最年少で、"連座制"の適用を受けることに。正直、これは、想定の範囲外でした。ちなみに、私の名前がwikiに出てくるキーワードは「連座制」。国政選挙レベルでは、未だに、連座制適用最年少記録を守っている(?)ようで、不甲斐無く思います。2002年は、年に二度も、検察庁から呼び出しを受けるという、人生で、二度と経験したくないようなハードな一年でした。余談ながら、現在、ビジネスで苦労を苦労と感じないのも、この時以下の状況はないとプラスに思えるからです。
当初は、地元にいて、何かしらの選挙を目指そうと考えていましたが、一部に、「民間経験が無い」といったご指摘もあったので、たまたま、中学校の同級生が送ってきた手紙に、「このコンサルティング会社、税金のこと詳しいみたいだよ」というメッセージとともに同封されていた求人広告を見て応募。翌週、上京して、会社説明会に出て面接を受けて入社。この会社では、全国の会計事務所を廻る仕事や、不動産の証券化、あるいは、組成したベンチャーファンドに関することなど、主に、会計や金融の視点を培う勉強をさせて頂きました。民間の厳しさを叩きこまれたのは、北信越地区の著名な税理士の先生のもとを赴いた時に、泣きたくなるくらいボコボコにされたことです。真冬でしたが、帰りは、コートを着る気力もなく、寒さも感じないほどでした。これ以降、物凄く、勉強をするようになりました。無論、出張にかこつけて、さぼったりもしていましたが・・・。(笑)
次に、入社したのが、SCM改革や業務改革を手がける独立系のコンサルティング会社。この会社に入ったのは、“SCM”という聞き慣れない言葉に興味を抱いたからです。在籍期間こそ短かったものの、この会社で見聞きしたことはとても勉強になりました。毎週のように、大手メーカーに赴いたり、工場に赴いたり...。決して、ロジスティクス領域に強い会社では無かったのですが、コンサルティング会社としての基礎、姿勢、課題解決の思考を学ばせて頂いたように思います。
この頃、たまたま手にした福澤諭吉の「学問のススメ」に"独立の気力"という一節を見つけ、そりゃそうだな~と安易に思い独立を決心。その一節とは、「独立の気力ある者は国を思うこと深切にして、独立の気力なき者は不深切なること推して知るべきなり。(中略)独立の気力なき者は、必ず、人に頼る。頼る者は人を恐れ、恐れる者は人に諂(へつら)う。(中略)愛国の意がある者は、官私を問わず、先ずは、自己の独立を成し遂げるべし。余力あらば、他人の独立を助け成すべし。」というもの。翌日、辞表を出したとき、仕事の充ては何もないという、短絡的な思いつきの行動でした。
その後、経営者を取り上げる番組の仕事をご紹介頂いたり、IT関連企業の会長を務められた方のオフィスから、ネットベンチャーの立ち上げの仕事をご紹介頂くことになります。当時、複数の会社の仕事を手がけていましたが、キーワードは、"ベンチャー"と"マーケティング"。秘密保持の関係上、社名こそ書けませんが、この頃、著名な企業の仕事を複数手掛けさせて頂いたことは、企業における"マーケティング"の重要性を認識する上で貴重な経験でした。この頃から、コンサルタントというよりも、"一介の営業マン"として歩もうと思い始めるようになりました。
奏功するうちに、「ロジラボ通信」の運営を開始、08年春に法人化、同年12月、物流・ロジスティクス・SCM領域に特化したコンサルティング会社を設立しました。自社内で、「物流コンサル・現場コンサル」機能を有しているので、物流コンサル会社と解される要素はありますが、ロジラテジーにとっての主戦場はその部分ではないと考えていますし、部分最適化のご相談は、極力、お断りしています。自社で関わる事案、自社のコアバリューは、企業経営そのものであって、一般的な物流コンサルティング会社と混同されないように、業務の一部を代行する、あるいは、生産性調査を生業にする、はたまた、元請で入ってピン撥ねすることを忌み嫌っています。
率直に申し上げると、ロジラテジーのキラーコンテンツは、何よりも、戦略。戦略ありきというのが全ての基本です。そして、業務レベルで申し上げれば、次の二つの点を手がけていきたいと考えています。第一に、荷主企業のSCM戦略構築(SCM・ロジスティクス改革)、次に、物流企業の経営戦略。これらを実現するための、財務戦略的アプローチ、マーケティング戦略的アプローチとロジスティクスコンサルティングの融合。掻い摘んだ説明で恐縮ですが、私のキャリアからお察し頂きたいのですが、企業の経営戦略を実現するための“財務戦略”と“マーケティング戦略”という二つのアプローチを重要視している点がコアコンピタンスなのです。将来的には、私なりの(物流業界ではあまり積極的に活用されていない)"金融"の視点、そして、“IT”により規模の経済性の視点を取りこみ、物流業界のエキスパートとともに、物流業界の“異端児”として勝負していきたいと考えています。
また、ベンチャー経験を活かし、物流ビジネスプロデューサーとして、独自の価値観を創造していきたいと日々奔走しています。
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